日中戦争下における日本の中国侵略を合理化するためのイデオロギーとスローガン。東亜新秩序構想の萌芽は,〈帝国指導の下に日満支三国の提携共助〉の実現を決めた1933年10月21日の斎藤実内閣の閣議決定にあった。それは満州事変勃発前後の〈日満ブロック〉構想を一歩進め,〈日満支ブロック〉の実現を国策として決定したものであり,36年8月7日の広田弘毅内閣下の5相会議決定〈国策の基準〉に受け継がれた。37年7月7日に勃発した日中戦争は,日本の予想に反して長期戦となり,38年1月16日近衛文麿首相は,〈爾後国民政府を対手とせず〉,日本は〈新興支那政権の成立発展を期待する〉との声明(第1次近衛声明)を発し,国民政府との和平交渉の道をみずから閉ざした。ついで同年11月3日,近衛首相は日本の戦争目的が〈日満支三国〉の提携による東亜新秩序建設にあると声明(第2次近衛声明)した。さらに陸軍の謀略により国民政府反蔣介石派の汪兆銘が重慶からハノイへ脱出した直後の12月22日には,日本と〈更生新支那〉との提携の原則は〈善隣友好,共同防共,経済提携〉にあるという近衛3原則(第3次近衛声明)を発表した。
東亜新秩序とは,欧米帝国主義と共産主義を東アジアから駆逐し,中国の抗日民族統一戦線を崩壊させ,〈日満支ブロック〉構想にもとづき日本が中国を排他的に独占支配することを合理化するためのイデオロギーであり,大東亜共栄圏構想の先駆をなすものであった。
執筆者:木坂 順一郎
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日中戦争下に日本が唱えた日・満・華を軸とした自給的ブロック。その基本は、長期化する日中戦争を収拾するために第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣が1938年(昭和13)11月3日に発表した「東亜新秩序建設声明」にある。政治・経済・文化などにわたる日・満・華の互助連関の樹立を新秩序の根幹としたが、日本のアジア諸民族への侵略、支配を正当化するものであった。以後、南方進出の積極化に伴って拡大され、40年7月に第二次近衛内閣が発表した「基本国策要綱」に至っては、八紘一宇(はっこういちう)の精神に基づき、日・満・華を中心に南洋地域を包含した自給自足体制の確立という大東亜新経済秩序、大東亜共栄圏の主張にまで拡大された。
[小林英夫]
公的には1938年(昭和13)11月の近衛内閣によるいわゆる「東亜新秩序」声明を端緒とし,以後,日本の外交政策の中心的なスローガンとなる。日・満・華の互恵平等の結合関係の設定と,経済的・政治的協力によって東アジアに新しい国際秩序を築くことが日中戦争の目標であるとしたが,その内実は中国に対する政治的・経済的支配を糊塗するための論理という側面が濃厚であった。
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