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蘐園学派 けんえんがくは

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

蘐園学派
けんえんがくは

荻生徂徠の門に学んだ人たちによって形成された儒学上の一学派。 蘐園は徂徠の号で,彼が居住地とした日本橋茅場町が,茅-萱-蘐と相通じるところに由来している。古文辞に即して経書を解釈することを旨としていたので古文辞学派ともいう。徂徠の思想のうちでは相重なって同居していたいくつかの側面が彼の弟子の学風においてさまざまな方向に分化し,経学では太宰春台山県周南宇佐美しん水 (しんすい) ,詩文では安藤東野服部南郭平野金華,高野蘭亭,明律研究では荻生北渓,同金谷,三浦竹渓,考証では山井崑崙と多彩である。なかでも経学における太宰春台,詩文における服部南郭が著名。両者は徂徠学における政治的傾向と文芸的傾向のそれぞれを代表している。春台は徂徠が道について古聖人の制作した治術とする考え方を受継いでいるが,当面する状況に対してはそれが理想的ではあっても有用性はなく,現在の状況に適切なものを考え出さなくてはならないとした。また南郭は師の政治論的傾向をまったく受継がず,詩文,風雅の世界にこもった。それは政治を自己の問題と感じていない 蘐園に集る人々の一般的傾向を代表していた。春台にも南郭にも共通するのは聖人の治術に対する無力感であり,聖人の権威に対する動揺であった。徂徠の学問は直弟子の双璧たるこの両人によっても否定されかかり,統一を失って分化しつつ門弟に引継がれた。しかしその門弟は全国の諸藩に散らばり,徂徠学は盛行したのである。

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大辞林 第三版の解説

けんえんがくは【蘐園学派】

〔「 蘐園」は荻生徂徠の家塾〕
荻生徂徠の率いた儒学の一派。古文辞学派とも。古代の言語・制度の理解を重視する。太宰春台・服部南郭らが出て江戸中期以降の思想界に大きな影響を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

園学派
けんえんがくは

日本儒学の一派で、荻生徂徠(おぎゅうそらい)の門人ならびにその系統に属する人々を総称し、また徂徠学派、古文辞(こぶんじ)学派ともいう。園とは、徂徠が44歳で柳沢家の藩邸を出て、初めて江戸の市中に住居を定めた場所が茅場町(かやばちょう)であったところから、その自宅をさした美称(「」も「茅」も「かや」と訓読される)で、こののち徂徠の門人たちは園社中などとよばれた。徂徠は教育者として優れ、その自由な学風により、多方面の人材を育成したが、そのなかでも傑出したのが太宰春台(だざいしゅんだい)と服部南郭(はっとりなんかく)である。春台が主として経学や政治論の分野での徂徠の学問を継承したのに対し、詩文の制作を中心とする文学の側面を継承したのが南郭であり、しかも春台がやや孤立した存在であったのに対し、南郭に代表される詩文派は園学派の主流をなした。徂徠、春台、南郭に、山県(やまがた)周南、安藤東野(とうや)、宇佐美(うさみしんすい)、平野金華(きんか)、僧万庵(ばんあん)をあわせて園八子という。そのほか、山井崑崙(やまのいこんろん)は『七経孟子考文(しちけいもうしこうぶん)』を著し、考証学の先駆となった。園風とよばれるこの派の詩文は、18世紀後半の漢詩文の主流の地位を占めた。しかし詩文に傾倒して、政治や道徳に関する学問を軽視する風潮は、軽佻浮薄(けいちょうふはく)に流れる弊害を生み、やがて幕府による寛政(かんせい)異学の禁(1790=寛政2)を呼び起こすことともなった。[尾藤正英]
『頼惟勤編『徂徠学派』(『日本思想大系37』1972・岩波書店) ▽日野龍夫著『徂徠学派――儒学から文学へ』(1975・筑摩書房)』

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