日本儒学の一派で、荻生徂徠(おぎゅうそらい)の門人ならびにその系統に属する人々を総称し、また徂徠学派、古文辞(こぶんじ)学派ともいう。蘐園とは、徂徠が44歳で柳沢家の藩邸を出て、初めて江戸の市中に住居を定めた場所が茅場町(かやばちょう)であったところから、その自宅をさした美称(「蘐」も「茅」も「かや」と訓読される)で、こののち徂徠の門人たちは蘐園社中などとよばれた。徂徠は教育者として優れ、その自由な学風により、多方面の人材を育成したが、そのなかでも傑出したのが太宰春台(だざいしゅんだい)と服部南郭(はっとりなんかく)である。春台が主として経学や政治論の分野での徂徠の学問を継承したのに対し、詩文の制作を中心とする文学の側面を継承したのが南郭であり、しかも春台がやや孤立した存在であったのに対し、南郭に代表される詩文派は蘐園学派の主流をなした。徂徠、春台、南郭に、山県(やまがた)周南、安藤東野(とうや)、宇佐美灊水(うさみしんすい)、平野金華(きんか)、僧万庵(ばんあん)をあわせて蘐園八子という。そのほか、山井崑崙(やまのいこんろん)は『七経孟子考文(しちけいもうしこうぶん)』を著し、考証学の先駆となった。蘐園風とよばれるこの派の詩文は、18世紀後半の漢詩文の主流の地位を占めた。しかし詩文に傾倒して、政治や道徳に関する学問を軽視する風潮は、軽佻浮薄(けいちょうふはく)に流れる弊害を生み、やがて幕府による寛政(かんせい)異学の禁(1790=寛政2)を呼び起こすことともなった。
[尾藤正英]
『頼惟勤編『徂徠学派』(『日本思想大系37』1972・岩波書店)』▽『日野龍夫著『徂徠学派――儒学から文学へ』(1975・筑摩書房)』
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