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寛政異学の禁 かんせいいがくのきん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

寛政異学の禁
かんせいいがくのきん

寛政2 (1790) 年5月 24日,寛政の改革一環として江戸幕府朱子学以外の学問の講義を禁止した学制改革。幕府は開幕以来朱子学を正学と定め,封建支配の教学としてきたが,伊藤仁斎,荻生徂徠などの古学派井上金峨,片山兼山などの折衷派,その他諸学派が次第に盛んになった。一方,林家には人材がなく朱子学は衰えていき,湯島聖堂 (→昌平黌 ) 廃止論まで出た。老中松平定信は朱子学擁護のため柴野栗山岡田寒泉を聖堂の取締りとし,大学頭林信敦に異学の禁を実行させた。すなわち,林家の湯島聖堂を官学昌平黌と改め,また,朱子学をもって官吏登用試験課目とした。同 10年頃まで続けられ,冢田大峯赤松滄洲らの反対にもかかわらず朱子学は復興し,諸藩もこれに見習うものが多く,異学は圧迫され,その後の発達を妨げられた。

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百科事典マイペディアの解説

寛政異学の禁【かんせいいがくのきん】

1790年寛政改革の際,幕府が発した,昌平黌(こう)における朱子学以外の学問の講義研究の禁令。古学派【けん】園(けんえん)学派など異学が流行するのは,幕府の官学である林家の朱子学が衰えているためであるとし,朱子学の振興を図るために発せられた。
→関連項目亀田鵬斎官版柴野栗山儒教昌平坂学問所正学冢田大峰山本北山

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世界大百科事典 第2版の解説

かんせいいがくのきん【寛政異学の禁】

寛政改革の一つとして行われた江戸幕府の教学振興策。1790年(寛政2)5月,聖堂預り林大学頭信敬に塾内での教育は朱子学専一にすべき旨を達した。当時,徂徠学派,仁斎学派,折衷学派の流行に対して幕府の林家塾は不振の状態であり,朱子学擁護論が安永(1772‐81)ごろから出始め,松平定信の老中就任によって実現した。頼春水尾藤二洲,柴野栗山,古賀精里西山拙斎らの主張,とくに西山拙斎の定信への建白が強かったという。

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大辞林 第三版の解説

かんせいいがくのきん【寛政異学の禁】

1790年、寛政の改革の一環として、江戸幕府が昌平坂学問所に対し、朱子学以外を異学とし、その教授を禁止したこと。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

寛政異学の禁
かんせいいがくのきん

江戸後期、寛政の改革の一環として行われた学問統制。1790年(寛政2)5月、幕府は大学頭(だいがくのかみ)林信敬(のぶたか)に対し、昌平黌(しょうへいこう)においては正学たる朱子(しゅし)学のみを講究し、異学すなわち朱子学以外の学問は禁ずる旨を達した。これを寛政異学の禁という。
 江戸幕府は成立以来、儒学とくにそのうちでも朱子学を、封建教学の根本とした。しかしやがて、時代の趨勢(すうせい)にマッチしない朱子学に飽き足らぬ人々が多くなり、「知行合一(ちこうごういつ)」を説く実践的な儒学である陽明学や、直接に孔子、孟子(もうし)の経典を研究することによってその真の精神を明らかにしようとする古学派や、さらには、いずれの学派にも偏せず学問研究法の自由を主張する折衷派など、朱子学以外の学問が盛んになった。これに対して、幕府の教学体制の中心である林家(りんけ)には人材が出ず、朱子学は衰える一方であった。寛政の改革を主導した老中松平定信(さだのぶ)は、このような情勢に対処して、封建教学再建のために朱子学を振興し、これを官学として明確に位置づけるために異学の禁を断行したのである。幕府は朱子学者の柴野栗山(しばのりつざん)、岡田寒泉(かんせん)、尾藤二洲(びとうじしゅう)らを登用し、さらに美濃(みの)岩村藩主松平乗薀(のりもり)の三男乗衡(のりひら)を、信敬没後の林家の養子に迎えて大学頭に任じ(林述斎(じゅっさい)という)、昌平黌の学制改革を推進させるなど、教学体制の強化を図った。異学の禁は、あくまでも幕府内部の規制であり、諸藩に強制したものではなかったが、冢田大峯(つかだたいほう)、豊島豊洲(ほうしゅう)、亀田鵬斎(ほうさい)、山本北山(ほくざん)、市川鶴鳴(かくめい)らは異学の禁に強く反対し、「異学の五鬼」とさえ称された。しかしこうした反対にもかかわらず、幕府の手厚い保護により朱子学がいささかなりとも復興したことは否めぬ事実である。なお、異学の禁は、以上のような単なる学問統制にとどまらず、朱子学による学問吟味=官吏登用試験を行うことによって、幕府に忠実な封建官僚群を育成しようとするものでもあった点が注目される。[竹内 誠]
『和島芳男著『昌平校と藩学』(1962・至文堂) ▽衣笠安喜著『折衷学派と教学統制』(『日本歴史12 近世4』所収・1963・岩波書店)』

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