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明治初年の中央行政機関。1871年(明治4)7月,太政官に正院・左院とともに設置。各省の長官・次官(卿・輔)が集会して行政事務の実際を審議するところとされた。右院から上達した施政の事務は正院が裁決した。73年5月の太政官職制章程の改正で正院の権限が拡大し,右院の権限は縮小した。75年4月,左院とともに廃止。
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…ついで廃藩置県(1871)後の官制改革により同制度は3院8省制に改められた。すなわち天皇臨席のもとで政務をとる正院,立法府に相当する左院,各省の高官が事務を審議する右院の下に,大蔵・兵部・宮内・外務の4省と70年に新設の工部省,それに神祇・文部・司法の3省を加えて,合計8省が設置された。その後,征韓論による政府内部の抗争の影響で太政官制の部分的改革があり,参議が各省の長官を兼任するようになり,75年には左右両院に代わって元老院と大審院が開設され,正院はその2年後に廃止された。…
※「右院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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