出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
明治初年の最高官府たる太政官(だじょうかん)の中枢機関。1871年(明治4)7月29日、廃藩置県の断行に対応して太政官制が根本的に改革され、太政官には新たに正院、左院(さいん)、右院(ういん)の三院が設けられた。正院は、天皇が親臨して万機を総判し、国務施政を統轄するところと規定され、他の二院に優越して立法・行政・司法三権の事務に対する最終的決定権をもつとされ、太政官三院中最高の地位にたつ機関であった。主要構成員は、太政大臣、納言(なごん)(のち左右大臣)、参議の三職で、太政大臣が天皇補弼(ほひつ)の最高責任者となった。その後、73年5月2日の改革で、正院の権限はいっそう強化、拡大された。さらに75年4月14日、漸次立憲政体樹立の詔により元老院、大審院が創設され、左右両院は廃止されて太政官には正院のみが存置されることになった。77年1月18日、正院の称は廃止された。
[吉井蒼生夫]
『鈴木安蔵著『太政官制と内閣制』(1944・文松堂書店)』▽『吉井蒼生夫著『中央権力機構の形成』(福島正夫編『日本近代法体制の形成 上』所収・1981・日本評論社)』
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明治初年の政府の最高政策決定機関。1871年(明治4)7月,太政官に正院・左院・右院を設置。正院には太政大臣・納言(なごん)(翌月廃止,左大臣・右大臣をおく)・参議などがおかれ,天皇が臨御して総判し,これを大臣が輔弼(ほひつ)し参議が参与して政治を統轄するとされた。73年太政官職制と正院事務章程の改正で権限を強化。諸制度・法律の起案と議決,賞罰,歳入・歳出,貨幣の製造,兵制の改正などを専掌事務と定めた。左院・右院の廃止に続いて,77年1月に正院の称は廃止された。
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…副島種臣,前原一誠についで大久保利通,広沢真臣,佐々木高行,斎藤利行,木戸孝允,大隈重信ら薩長土肥4藩の代表者が任命され,しだいに権限を握った。71年の廃藩置県直後における7月29日の官制改革で,正院,左院,右院の3院が設置されるや,参議は最高官庁としての正院にあって太政大臣,左・右大臣をたすけて国政の機務に参画した。73年5月2日,内閣議官として天皇輔弼(ほひつ)の大臣と分離し,明治6年10月の政変後は,各省の長官を兼任し(10月25日),また,成員も増やされた。…
…ついで廃藩置県(1871)後の官制改革により同制度は3院8省制に改められた。すなわち天皇臨席のもとで政務をとる正院,立法府に相当する左院,各省の高官が事務を審議する右院の下に,大蔵・兵部・宮内・外務の4省と70年に新設の工部省,それに神祇・文部・司法の3省を加えて,合計8省が設置された。その後,征韓論による政府内部の抗争の影響で太政官制の部分的改革があり,参議が各省の長官を兼任するようになり,75年には左右両院に代わって元老院と大審院が開設され,正院はその2年後に廃止された。…
※「正院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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