日本大百科全書(ニッポニカ) 「こけし」の意味・わかりやすい解説
こけし
ろくろでひいた木製の人形。手足がなく、円筒状の胴に球形の頭をつけ、顔と胴模様を描いたもの。元来は東北地方特有の郷土人形で、蔵王(ざおう)(宮城、山形県)、栗駒山(くりこまやま)(岩手、宮城、秋田県)周辺が発生の中心とされる。つくり始められたのは江戸中期以後と推定される。ろくろを使った木地(きじ)雑器をつくる木地師(木地屋)の手工芸的生産品で、こま、笛、おしゃぶり、達磨(だるま)などの木地玩具(がんぐ)類の一つであり、この地方に散在する温泉地の湯治客相手の土産(みやげ)物として登場した。大正期ごろから成人層の収集、鑑賞趣味の対象となり、愛好者が多い。なおこの種の伝統的な作品群を「旧型(伝統)こけし」といい、そのほか第二次世界大戦後全国各地にみられる観光土産の「新型こけし」、さらに現代感覚を個性的に表現した「創作こけし」がある。
[斎藤良輔]
起源・製作
こけしの祖型については、岩手、秋田、青森県地方に残る民間信仰のおしらさまや、津軽地方の信仰的木偶の山中三助に起因するという信仰玩具説、山村生活の木地屋が自分たちの幼女につくり与えたのが始まりとする固有玩具説、あるいは幼児のおしゃぶり類などほかの玩具から転化したというおしゃぶり起源説などがある。これをつくる木地師にはそれぞれの系譜がある。1809年(文化6)に成った『新編会津風土記(ふどき)』によれば、1590年(天正18)蒲生氏郷(がもううじさと)が近江(おうみ)国(滋賀県)から会津(福島県)に封ぜられた際、江州小椋荘(おぐらのしょう)から木地頭(がしら)、木地挽(ひ)きを会津若松に住まわせ、木地を製作せしめたとある。それ以前からすでに居住していた木地師を地(居)木地師、近江や信濃(しなの)(長野県)から移住してきたものを渡り木地師、さらに遅れてきたものを流れ木地師などという。木地師の歴史は古く飛鳥(あすか)時代にまでさかのぼるが、875年(貞観17)文徳(もんとく)天皇の皇子惟喬(これたか)親王が、江州小椋郷筒井の地で住民にろくろ技術を奨励し、わが国木地師の祖と仰がれ、筒井は木地業発祥の地とされた。全国の山林で働く木地師は、筒井公文所(くもんじょ)から木地材料の樹木伐採許可の免状を受け、山中を流浪して挽物(ひきもの)の食器類製作を業とした。
こけしは、方言で「こげす」「きぼこ」「きなきな」「きでこ」など、さまざまによばれる。1940年(昭和15)東京こけし友の会が「こけし」の名称を用いたが、現在はこの名称で統一されてよばれている。こけしの材料とする木は、ミズキ、イタヤカエデ、ハクウンボクなどで、ホウ、サクラも用いる。秋の彼岸以後、樹木の活動が停止期に入ると伐採、数か月乾燥後、木取りしてろくろで挽く。ろくろの回転軸に木を取り付け、回転させながら刃物を当てて削る。
[斎藤良輔]
分類
その型には、(1)頭と胴を1本の木でつくる「作り付け」、(2)頭と胴を別々に挽いて頭部を胴にはめる「挿し込み」、(3)頭部を胴にはめ、頭が回って音がしたり、ぐらぐら動く「はめ込み」の三つがある。また、こけしの製作技法、描彩、形態の差異、特徴から次の10系統に分類される。
〔1〕土湯系 はめ込み式。頭頂部に墨の蛇の目模様、胴模様にろくろ線が多い。福島県福島市土湯温泉産が中心。
〔2〕弥治郎(やじろう)系 挿し込み式。頭部が大きく、頭頂にベレー帽風のろくろ線が入る。宮城県白石(しろいし)市福岡八宮(やつみや)弥治郎集落で産するものが中心。
〔3〕遠刈田(とおがった)系 挿し込み式。菊花など8種類の胴模様があり、描彩は華麗。宮城県刈田(かった)郡蔵王町遠刈田新地産が中心。
〔4〕鳴子系 はめ込み式で、首を回すと鳴る。宮城県大崎(おおさき)市鳴子温泉(なるこおんせん)産が中心。
〔5〕山形・作並(さくなみ)系 挿し込み式。頭部に比べて胴が細い。山形県山形市、宮城県仙台市青葉区作並温泉産が中心。
〔6〕蔵王系 挿し込み式。遠刈田系から分かれた新しい系統。山形県山形市蔵王温泉産が中心。
〔7〕肘折(ひじおり)系 挿し込み式。鳴子・遠刈田系などから独特の一派を開拓。山形県最上(もがみ)郡大蔵(おおくら)村肘折温泉産が中心。
〔8〕木地山系 作り付け。胴模様に前掛けを描く。別に菊花模様もある。秋田県湯沢市皆瀬(みなせ)木地山が中心。
〔9〕南部系 きなきなとよぶ無彩のおしゃぶり式のものと、これに描彩したものの2種がある。岩手県花巻市、盛岡市が中心。
〔10〕温湯(ぬるゆ)系 作り付け。青森県黒石市温湯温泉産が中心。
[斎藤良輔]
『菅野新一監修『こけし事典』(1983・岩崎美術社)』