中国の越の地方(浙江省を中心にした地方)の青磁窯の総称。越州窯の古窯址は江蘇省の南部から福建省の北部まで広がっている。浙江省蕭山県,紹興市には前7~前5世紀の灰釉陶窯が20ヵ所ほど発見されており,浙江省は以来,中国の代表的な窯業地となった。そのうち越州窯は1000年以上にわたって長く活動し,中国陶磁史の骨格を形成した窯であった。越州窯の開窯は後漢時代の1世紀ころであり,寧波(ニンポー)市,上虞県の窯で青磁・黒磁が焼造されはじめた。堅緻な素地に地味ながら質実な青磁釉がかかった越磁は,三国時代に大いに作風が磨かれ,3世紀後半の西晋時代に第1の峰がつくられた。その後,東晋以降は成形・釉調にも弛緩があらわれ,隋・初唐の7世紀にはまったく低迷してしまう。ところが,中唐の8世紀後半以後になって,再び隆盛過程をあゆみはじめ,晩唐から五代(9~10世紀)にかけて〈秘色(ひそく)〉と呼ばれた絶妙な青磁を完成するのである。北宋11世紀に入ると,しばらくは優位をたもっていたが,11世紀中ごろから台頭してきた浙江省南部の竜泉窯にその主流の座をうばわれ,12世紀以降は一地方窯に堕してしまった。
→窯
執筆者:矢部 良明
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中国を代表する青磁窯(せいじよう)の一つ。窯址(ようし)は浙江(せっこう)省北部一帯に広く発見されており、この地方が戦国時代の越(えつ)の国に属するところから越州窯の名が冠せられた。その起源は春秋戦国時代にさかのぼると推測されており、浙江省蕭山(しょうざん)県、紹興県に初期の灰釉陶(かいゆうとう)を焼いた窯が二十数か所確認されている。その後、後漢(ごかん)時代の1世紀になって急速に陶技を高めて、青磁とよびうる磁器を焼造し始め、その窯趾は寧波(ニンポー)市や上虞(じょうぐ)県に発見された。後漢ののち、三国時代を経て西晋(せいしん)時代の3世紀末になると青磁は完熟した。東晋から六朝(りくちょう)後期にかけては作陶は緩やかな下降線をたどって隋唐(ずいとう)時代の低迷期に入る。中唐以後、9世紀になると新生越州窯が台頭し、五代時代には「秘色(ひそく)」と貴ばれた絶妙高雅な青磁が創作されたが、11世紀中葉には青磁造りの主導は浙江省南部におこった竜泉窯にとってかわられた。
[矢部良明]
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…中国浙江省にひらかれた越州窯のうち,古い時期の製品をさし,具体的には後漢から盛唐にかかる1世紀から8世紀の間につくられた越磁である。後漢の窯は浙江省北部の海岸沿いに,寧波(ニンポー)市,上虞県に発見され,西晋時代になると窯は紹興市,鄞(ぎん)県,余姚(よよう)県,慈渓県,余杭県から江蘇省の宜興市にひろがり,飛躍的に窯が拡散していった。…
… 隋・唐時代の青磁生産の実態は明らかではなく,8世紀末の晩唐・五代になると浙江省杭州を中心として青磁の生産が再び活発となる。これを〈越州窯青磁〉と呼んでいる。オリーブ・グリーンの深い釉色をたたえ,素文,花鳥や雲鶴,波濤などの文様を針彫りの細い線で描いている。…
…或いは邢州を越州の上におくが,決してそうではない〉と唐代の名窯を紹介している。越州窯は浙江省杭州市,鼎州窯は陝西省銅川市,婺州窯は浙江省金華県で越州窯系,岳州窯は湖南省長沙付近の青磁窯,寿州窯は安徽省寿県,洪州窯は江西省の豊城県で,いずれも窯址が確認されている。なかでも近年最大の成果は,唐白磁の名窯窯址が河北省臨城県で発見されたことである。…
※「越州窯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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