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藤本鉄石 ふじもと てっせき

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美術人名辞典の解説

藤本鉄石

幕末の尊攘派志士。備前生。名は真金、字は鋳公、別号を鉄寒士・都門売茶翁。書画・和歌・漢詩を能くし、兵法に通ず。天誅組総裁として激しく尊攘論を主張した。文久3年(1863)歿、48才。

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デジタル大辞泉の解説

ふじもと‐てっせき〔ふぢもと‐〕【藤本鉄石】

[1816~1863]江戸末期の志士。岡山藩士。通称、津之助。天誅組(てんちゅうぐみ)の総裁となったが、討伐軍の攻撃を受けて戦死。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤本鉄石 ふじもと-てっせき

1816-1863 幕末の尊攘(そんじょう)運動家。
文化13年3月17日生まれ。備前岡山藩につかえたが,脱藩。諸国をめぐったのち京都で私塾言志塾をひらく。和歌,書画にもすぐれた。文久3年天誅(てんちゅう)組総裁となり吉村虎太郎(とらたろう)らと大和で挙兵し,同年9月25日吉野郡鷲家(わしか)口で戦死。48歳。本姓は片山。名は真金(まかね)。字(あざな)は鋳公。通称は津之助。別号に鉄寒士など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤本鉄石

没年:文久3.9.25(1863.11.6)
生年:文化13.3.17(1816.4.14)
幕末の尊攘派志士。名は真金,字は鋳公,通称学治,津之助。号は鉄石のほかに鉄寒士,吉備中山人など。備前国御野郡東川原村(岡山市)片山佐吉の4子。母は佐幾。岡山藩軽卒で叔父の藤本彦右衛門重賢の養子となり,同藩農事掛(用水番)の手代役を勤める。養父の死後天保11(1840)年に脱藩して京都へ出た。その後東北から江戸,中国・九州地方を遊歴し,各地の名士と交わるとともに学問,書画の力を磨いた。和歌,漢詩に優れ,兵法では甲州流と長沼流の免許を取得している。安政1(1854)年伏見奉行内藤正縄に招かれてその配下を教え,私塾言志塾においても学問や兵法を教えた。大老井伊直弼安政条約調印を憤り,激しい尊攘論を主張。文久2(1862)年3月,島津久光の率兵上洛を機に尊攘挙兵を画策するが,捕らえられて大坂薩摩藩邸に軟禁された。翌3年8月,土佐の吉村寅太郎,三河の松本奎堂らと天誅組総裁になり,天皇の大和行幸先駆けとして五条代官所を襲撃。この直後8月18日の政変が起こり,幕府は和歌山,津,彦根などの諸藩に天誅組の討伐を命じた。そのため苦戦を強いられ,十津川郷士が去ったのちは吉野山中を敗走,血路を開こうとして向かった鷲家口(奈良県吉野村)において和歌山藩兵の手にかかり戦死した。<著作>『日鑑』『神典皇謨』『蒭蕘之言』<参考文献>久保田辰彦『いわゆる天誅組の大和義挙の研究』,渡辺知水『藤本鉄石

(高木俊輔)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ふじもとてっせき【藤本鉄石】

1816‐63(文化13‐文久3)
幕末の尊攘派志士。名は真金,通称津之助,鉄石は号。備前国上道郡宇野村生れで岡山藩に仕える。養父の死後1840年(天保11)脱藩して上京,諸国を遊歴後伏見に私塾を開く。大老井伊直弼の安政条約調印に憤激し尊攘激派となり,63年(文久3)8月の天誅組大和挙兵には推されて総裁の一人となるが,8月18日の政変により諸藩の討伐を受けることになり,敗れて鷲家口で戦死した。【高木 俊輔】

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大辞林 第三版の解説

ふじもとてっせき【藤本鉄石】

1816~1863) 幕末の志士。岡山藩士。字あざなは鋳公。通称、津之助。脱藩して上洛。天誅組の首領に推されて挙兵、敗死した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤本鉄石
ふじもとてっせき

[生]文化13(1816).備前
[没]文久3(1863).9.26. 大和
幕末の尊皇攘夷の志士。通称は津之助。諱は真金。字は鋳公。鉄石はその号。岡山藩士であったが,天保 11 (1840) 年脱藩して京都に出て私塾を開き,尊王派の志士と交わった。安政仮条約の調印に反対し,討幕運動に参加した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤本鉄石
ふじもとてっせき
(1816―1863)

幕末尊王攘夷(そんのうじょうい)派の志士。名は真金(まかね)。字(あざな)は鋳公(ちゅうこう)。鉄石は号。本姓片山、叔父(おじ)の岡山藩士藤本彦右衛門重賢(ひこえもんしげかた)の養子となる。1840年(天保11)脱藩し、京都に私塾を開く。安政(あんせい)五か国条約、和宮(かずのみや)降嫁を機に尊攘論を唱え、62年(文久2)島津久光(ひさみつ)の率兵(そっぺい)上京に乗じ、討幕の挙兵を策して失敗。63年8月、吉村虎太郎(とらたろう)、松本謙三郎(奎堂(けいどう))らと中山忠光(ただみつ)を擁して大和(やまと)に挙兵し、天誅(てんちゅう)組の総裁となる。五條(ごじょう)代官所襲撃ののち、諸藩の討伐軍に攻められ、十津川郷士(とつかわごうし)にも離反され、文久(ぶんきゅう)3年9月25日、鷲家口(わしかぐち)で戦死した。[井上勝生]

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