デジタル大辞泉
「吉田書簡」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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吉田書簡
よしだしょかん
(1) 対日講和交渉のなかで日本にゆだねられた対中国国交回復について,中国正統政府として北京政府と国民政府のいずれを選ぶかについて,1951年 12月 24日外務大臣吉田茂がアメリカの J.ダレス国務長官にあてた書簡。この書簡で日本は北京政府と2国間条約を結ぶ意志のないことを言明している。当時アメリカには反共の風潮が強く,日本が国民政府の選択を明確にしないと対日講和条約の批准が議会で行われないとダレス大統領特使に説得された結果書かれたという。これによって,52年4月日華平和条約が調印され,第2次世界大戦後の日本の対中国外交は 72年の日中国交回復にいたるまで規定された。 (2) 吉田が張群台湾総統府秘書長に送った書簡。台湾は,対中国プラント輸出第1号契約として実現した倉敷レイヨンのビニロン・プラント輸出に日本政府が輸出入銀行融資を認めたことに抗議,経済断交を行なった。これに対して 1964年2月吉田元首相が台湾を訪問,帰国後の5月,中国向け輸出に輸銀融資を行わない旨,私信のかたちで張群に約束した。これは外交機関でない私人が外交問題に干渉した形式上の不分明さと対中国承認問題への政府当局の曖昧な態度とともに内外の非難をこうむることになり,中国政府は日本からの中国向け貨物船輸出,ビニロン・プラントの輸出契約の破棄を行い,大型プラントの成約も中断され,書簡の放棄を要求した。これに対して日本政府は,同書簡は私信であるが道義的に拘束される,輸銀融資はケース・バイ・ケースで行うとの態度をとった。 72年9月日中国交回復とともに吉田書簡の効力は消滅した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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