ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉田簑助」の意味・わかりやすい解説
吉田簑助(3世)
よしだみのすけ[さんせい]
人形浄瑠璃文楽の人形遣い。本名平尾勝義。父は桐竹紋太郎。1940年 3世吉田文五郎に入門。1942年桐竹紋二郎を名のり,翌 1943年の四ッ橋文楽座(→文楽座)が初舞台とされる。1948年から 2世桐竹紋十郎の門下となり,1949年文楽が二派に分裂すると師匠とともに三和会(みつわかい)に所属し,因会(ちなみかい)派の父紋太郎と行動を別にした。早くから女方としての将来を嘱望され,1961年に文五郎・紋十郎の前名である吉田簑助の 3世を襲名する。1963年の文楽協会設立後は,吉田玉男,2世桐竹勘十郎の相手役として存在を深め,特に『曾根崎心中』のお初は生涯のあたり役となった。2世桐竹紋十郎の死後は華麗な持ち味に情愛を加味し,女方の第一人者として君臨。1998年病に倒れるが,翌 1999年舞台に復帰。文楽だけでなく現代を代表する女方の一人である。3世桐竹勘十郎,5世豊松清十郎をはじめ多くの弟子を育成。1994年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。1970年芸術選奨新人賞,1997年日本芸術院賞など受賞多数,2012年日本芸術院会員に就任。1996年紫綬褒章,2006年フランス芸術文化勲章最高位のコマンドールを授与され,2009年文化功労者に選出された。(→浄瑠璃,人形浄瑠璃)
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