周阿(読み)シュウア

デジタル大辞泉 「周阿」の意味・読み・例文・類語

しゅうあ〔シウア〕【周阿】

[?~1377ころ]南北朝時代連歌師二条良基救済ぐさいとともに連歌三賢人の一人。歌論書「知連抄」など。

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精選版 日本国語大辞典 「周阿」の意味・読み・例文・類語

しゅうあシウア【周阿】

  1. 南北朝時代の連歌師。救済(ぐさい)門下。二条良基、救済とともに連歌の三賢と呼ばれている。著「知連抄」「太閤周阿連歌合」など。永和三年(一三七七)頃没。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「周阿」の意味・わかりやすい解説

周阿
しゅうあ
(?―1376/77)

南北朝時代の連歌師(れんがし)。俗名、坂の小二郎。救済(きゅうせい)の門弟。南北朝中期から頭角を現し、『応安(おうあん)新式』の追加制定にあたっては、二条良基(よしもと)から相談を受けている。一句に趣向を凝らした手のこんだ句を得意とし、南北朝後期から室町初期にかけて、その句風は連歌界を席巻(せっけん)した。「さだめぬものを旅の行末」の前句に、「風ふけばあすのとまりに舟のきて」など代表作の一つである。『菟玖波集(つくばしゅう)』入集句のほか、『独吟百韻』『侍公周阿百番連歌合』『良基周阿百番連歌合』などが伝えられている。

木藤才蔵

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朝日日本歴史人物事典 「周阿」の解説

周阿

没年:永和2/天授2頃(1376)
生年:生年不詳
南北朝時代の連歌師。俗名は坂小二郎(『密伝抄』)。文和4/正平10(1355)年ごろから連歌界で頭角をあらわし,二条良基の信頼を得て,師の救済と共に『連歌新式』の制定に尽力した。しかし,作風はのちに心敬が「手だり上手」と評したように,理詰めで一句の仕立てに工夫をこらし,人の意表をつくもので,情趣深い句とはいいがたい。従って,周阿の句風の亜流が一世を風靡したことから,その晩年には理想を異とする良基の不興を買ったようである。応安年間(1368~75)には九州へ下向,東国にも旅した。

(伊藤伸江)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「周阿」の解説

周阿 しゅうあ

?-? 南北朝時代の連歌師。
救済(ぐさい)の門弟。文和(ぶんな)4=正平(しょうへい)10年(1355)ごろから頭角をあらわす。二条良基(よしもと)の「応安新式」の制定に際し,師とともに協力。良基,救済とともに連歌の三賢と称された。「菟玖波(つくば)集」に22句,「紫野千句」に168句のる。俗名は坂(さかの)小二郎。著作に「周阿独吟山何百韻」など。

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