埼玉県南部、東京都に接する市。1970年(昭和45)北足立(きたあだち)郡大和(やまと)町が市制施行して和光市と改称。市名は旧町名の和をとり、発展を願ってつけられた。東武東上線、東京地下鉄有楽町線と東京外環自動車道、国道17号、254号、298号が通じる。市域は武蔵野(むさしの)台地と荒川低地にまたがる。江戸時代は川越街道(かわごえかいどう)の宿場町で、5、10の日には市(いち)が立ち、また、新河岸川(しんがしがわ)の河岸場として舟運の利用も盛んであった。東京都の板橋区と練馬(ねりま)区に接するので、都市化が著しい。税務大学校、最高裁判所司法研修所などが設置されている。西端は陸上自衛隊朝霞(あさか)駐屯地の一部で、近くに本田技研工業や理化学研究所、和光樹林公園がある。面積11.04平方キロメートル、人口8万3989(2020)。
[中山正民]
『『和光市史』全6巻(1981~1988・和光市)』
埼玉県南部の市。1970年市制。人口8万0745(2010)。市域は武蔵野台地と荒川低地にまたがり,東は白子(しらこ)川を隔てて東京都板橋区に接する。758年(天平宝字2)新羅人131名が移住して新羅郡を置いたところで,白子はその遺名とされる。白子は江戸時代には川越街道(現,国道254号線)の宿場町として栄え,5・10の六斎市も立った。明治以降,根菜を中心とする野菜作りの盛んな近郊農村として発展したが,1914年東武東上線が市域のほぼ中央に開通し,新倉駅(現,和光市駅)が開設されてからは,東京の郊外地としての性格が強まった。53年から埼玉県工場誘致条例にもとづいて,60年の本田技研をはじめとして自動車関係,金属製品,電機などの工場進出が相次ぎ,1958年には理化学研究所も進出した。また台地末端の良質な湧水(白子の湧水)を利用して,清酒や清涼飲料水の製造も行われている。首都圏15km圏内という立地条件を生かした住宅建設も盛んで,昭和30年代以後,住宅・都市整備公団の西大和団地をはじめとする団地群が出現し,典型的なベッドタウンとなった。92年には東京外環自動車道が開通し,関越・東北・常磐自動車道との連絡が至便になった。1981年には新河岸川河川敷に,荒川右岸流域下水道終末処理場もつくられた。
執筆者:新井 寿郎
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