ドイツ中世の詩人ハルトマン・フォン・アウエの叙事詩。1195年ごろの作。名望を一身に集める騎士ハインリヒは突然、病に襲われる。病を癒(いや)す手だては無垢(むく)の乙女の生き血を得ることだけと聞き、失意の底に沈む彼に、荘園(しょうえん)管理人の娘が、わが身を犠牲にしようと申し出る。いったんはこれを受諾した騎士も、裸身で手術台に縛られた乙女の姿を見て翻然(ほんぜん)と悟り、彼女の犠牲を激しく拒む。神はこの心をよしとし給い、騎士の病は癒(い)え、彼は栄光を取り戻す。騎士と乙女は結ばれ、幸せな生涯を送る。小品ながらこれは、『旧約聖書』の「ヨブ記」を思わせる試練の物語と血の犠牲の説話を融合させた、緊迫感にあふれる佳品である。
[中島悠爾]
『相良守峯訳『哀れなハインリヒ』(『ハルトマン作品集』1982・郁文堂)』
アウエのハルトマンの作(12世紀末)で,全編1500余行の叙事詩。領主ハインリヒは若くして徳を積み,富と名誉に包まれたが信仰心を忘れ,天罰として癩にかかる。彼が身を寄せていた小作人の少女は,彼の病には〈清らかな〉少女の〈自由意志による〉心臓の血の提供以外何も役に立たないことを知って,主人のために死を決意する。サレルノの医師のもとで,手術台に一糸まとわぬ姿でのせられた少女の美しい肢体と自分の醜い身体とを見くらべたハインリヒは,それまでの自分の過誤に気がつき直ちに手術の中止を求める。帰郷の途上,神はハインリヒの回心を認め,彼を健康な体に戻す。彼は少女を助けむしろ自分を犠牲にしようとしたときはじめて神の恩寵を取り戻すことができた。ここでは〈血〉は単なる薬ではなく志向の転換を促すものとして象徴的な意味を持っている。作品の原型となったラテン語の文献があったともいわれるが確かめられてはいない。1902年にG.ハウプトマンはこの作品を戯曲化した。
執筆者:古賀 允洋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…シュワーベンの騎士の出身(従士)。諸作品のうち《哀歌》と《エーレクErek》は1180年ころに着手され,90年ころに完成,《グレゴリウス》と《哀れなハインリヒ》はこの順で90‐97年の間に書かれたと推定されている。この時期に彼は世俗と愛(ミンネ)に決別する抒情詩,そして十字軍参加(1189‐91)の所産の十字軍遠征の歌を書いた。…
※「哀れなハインリヒ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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