日本大百科全書(ニッポニカ) 「哲学的人間学」の意味・わかりやすい解説
哲学的人間学
てつがくてきにんげんがく
philosophische Anthropologie ドイツ語
philosophical anthropology 英語
anthropologie philosophique フランス語
人間の本質や世界における人間の地位などを考察する学問。「人間とは何か」の問いに答える哲学的考察としては、哲学的人間学は哲学のあるところつねにあったといえる。だが、古代哲学が宇宙を、中世哲学が神を中心主題とした限り、人間はそのついでに触れられたにすぎず、人間自体が中心主題とされるようになったのは、近世もほど経て、哲学が自然的世界観から解放されてからであった。とりわけ、18世紀、カントにおいて、人間学がすべての哲学の向かうところとみなされたことは注目に値するが、それは、認識対象に対する認識主観の優位を主張する彼の認識論からの当然の帰結でもあった。その後のドイツ観念論の展開においても、人間中心的方向は保持されはしたが、普遍的理性に重きを置くヘーゲル哲学に達してのち、19世紀の反ヘーゲル的動向(ショーペンハウアー、ニーチェ、後期シェリング、キルケゴール、マルクス)は、現実に生きる個別的人間の強調へと傾いていったのである。なかでも、フォイエルバハは、哲学は人間学に解消されなければならないと主張したのである。
20世紀に入って、ディルタイ、ジンメルに代表される生の哲学、ヤスパース、ハイデッガー、サルトルらの実存哲学は、ともに人間学的色彩が濃厚である。前者が人間の生の表現としての歴史・文化を主題とするのに対し、後者は先の反ヘーゲル的動向に深く影響されて、普遍的本質に対立する、自由な決断を通して自己生成する可能的実存としての人間を主題とし、ともに20世紀を人間学の世紀として特徴づけるにふさわしい展開をみせている。しかし、20世紀後半の哲学的人間学の興隆を招来した直接の源流は、1928年に時を同じくして哲学的人間学の構想を打ち出したM・シェラーとH・プレスナーであるといえる。シェラーは『宇宙における人間の地位』Die Stellung des Menschen im Kosmosにおいて、精神としての人間と生命としての人間という人間の根本的在り方を呈示し、プレスナーは『有機的存在の諸段階と人間』Die Stufen des Organischen und der Menschにおいて、生物学的・人類学的見地から出発して、他の動物に対する人間の特殊な地位を、生の中心を超越していく脱中心的存在として描き出している。
今日の哲学的人間学も、この2人の方向、つまり経験科学とは一線を画した哲学的見地から人間の本質規定を求める方向と、逆に、経験科学として人類学的・生物学的・心理学的、あるいは社会科学的人間学を形成する実証科学的方向との両方向への模索と展望がみられるといえよう。こうした現代の哲学的人間学の代表者としては、ヘングステンベルク、ポルトマン、ゲーレン、フロム、ユクスキュルらがあげられる。
[清水窕子]
『亀井裕・山本達訳『シェラー著作集 第13巻 宇宙における人間の地位』(1977・白水社)』▽『アーノルド・ゲーレン著、亀井裕・滝浦静雄他訳『人間学の探求』(1970・紀伊國屋書店)』▽『ボルノー、プレスナー他著、藤田健治他訳『現代の哲学的人間学』(1976・白水社)』▽『高山岩男著『哲学的人間学』(1971・岩波書店)』▽『茅野良男著『哲学的人間学』(1969・塙書房)』▽『藤田健治著『哲学的人間学』(1977・紀伊國屋書店)』