翻訳|anthropology
ギリシア語のanthrōpos(人間)とlogos(言葉,理論,学)とに由来する16世紀のラテン語anthropologium,anthropologiaにさかのぼる用語で,〈人間の学〉を意味する。訳語の歴史は複雑で,1870年(明治3)西周(にしあまね)による〈人身学〉〈人学〉〈人道〉〈人性学〉の試みのあと,81年の《哲学字彙(じい)》は人と人類を訳し分け,anthropologyを〈人類学〉と訳し,84年の東京人類学会創立以来,明治・大正期には,もっぱら獣類・畜類と区別された人類の自然的特質の経験科学すなわち〈自然人類学〉の意味で使用され,人類の文化的特質に関する〈文化人類学〉としての使用は昭和期のことである。これに対し〈人間学〉は,1871-73年西周によりコントのsociologieの訳に当てられたが(人間は人間(じんかん)として人の世,世間を指すから),これは一般化せず,92年には倫理学を人間学と呼びうるという主張が生じ,97年に〈人間知〉〈世間知〉の意味で初めて著書の題名となった。続いて1903年には〈人間の自然的・精神的側面の統一の学〉の意味に用いられ,11年には神学体系の内部で〈人間論〉,大正・昭和期には〈人性論〉〈人性学〉とも訳されたが,〈人間学〉〈哲学的人間学〉として定着するのは昭和期初頭以来である。その背景にはカントやL.A.フォイエルバハの人間学,M.シェーラーが開拓しハイデッガーも論じる〈哲学的人間学philosophische Anthropologie〉などの受容と了解の進展がある。
西洋でも,成立当初の原語は人間の自然本性の理論,とくに心と身体とを対象とする心理学と身体学,解剖学を指し,18世紀以降は人間の文化的特質への反省と経験的考察とが加わり,19世紀以降,自然人類学,文化人類学が成立し,20世紀には人間の営為と所産とを対象とする諸学が人間科学と総称されるに至るが,人間の本質に関する理論的・総合的考察が哲学的人間学として成立するのは,1920年代後半のシェーラー,プレスナーなどの主張以来のことであった。
では人間学,哲学的人間学に固有な分野とは何であるか。一般に,人間においては外・対象・客観に向かう態度が先で,内・主体・主観を反省する態度は後になる。〈人間の学〉の成立が神学,自然学にはるかに遅れ,〈人間の学〉の中でも自然人類学,文化人類学のように人間を対象として考察する学が先行し,人間的主体の自然的・文化的特質を全体として根本的に理解しようとする人間学,哲学的人間学が遅れるのは,上述の理由による。他方,人間は対象知,客観知のみならずそれに即して自己知,自己意識,自己了解をつねに具備しており,この自己知の起源は〈人間の学〉の成立以前はるか古代にさかのぼる。たとえば〈言葉を有する生物〉〈理性的動物〉〈社会的動物〉ないし創造神による〈被造物〉などは,西洋人の伝統的な人間の自己了解,自己知である。広義の人間学は人間の人間自身に関する知と等義であり,人間知,人間了解としては万人がこれを所有し,人間像,人間観としては特定の時代,社会集団,文化形態のそれぞれがこれを抱いている。狭義の人間学は上述の人間知,人間了解,人間像,人間観の自覚であり,それらを歴史過程,文化形態に即して析出し言明する〈歴史人間学〉〈文化人間学〉に分かれる。後者は人間の本質とその個体化,客体化に関する原理的考察としての〈哲学的人間学〉,魂全体の救い,解脱,転生にかかわる〈宗教的人間学〉,芸術作品に象徴化,感性化された人間本性とその追体験をめぐる〈芸術的人間学〉,さらには人間現象の部分,側面,契機を対象化し理論化する個別科学において,たいていは前提されたままで言明されていない人間の本質像を自覚的に析出する〈個別科学的人間学〉などを包括する。この見地からは,人類学は人類学的人間学を含み,人間科学は諸学各自の科学的人間学を必要とし,したがって原理的な哲学的人間学との共同が不可欠となる。哲学的人間学は,人間知,人間了解,人間像,人間観,人間本性の本質把握の諸典型と複合形態とを人間の歴史と文化に即して析出,展示,系統化するとともに,かかる自己知を伴いつつ展開する人間存在の〈何処から〉〈何処へ〉〈何故に〉という根本の謎に人間を直面させる。
哲学的人間学の開拓者シェーラーは,人間の知は人間の特質としての精神がみずからの存在を超越して他の存在者のあり方に関与し没頭する〈愛〉の傾向に基づくとし,知に3種を認めた。すなわち,生存のため自然,社会,歴史の諸現象を支配しようとして獲得する実証科学的知を〈支配知〉,世界の根源的現象すなわちイデア,本質を精神で認識し,実証諸科学の最高前提の確定であると同時に絶対者への窓となりうる理性的本質認識を〈本質知〉と呼び,双方は結局人間における衝動と精神に基づくとする。しかし世界と自己との共通で最高の根拠は,無限の精神と衝動とが角逐し相互に浸透しつつ生成する絶対者,神性であり,人間は有限な精神と衝動を有する小宇宙として,みずからの本質の認識に基づいて大宇宙すなわち絶対者の自己展開の歴史の協力者となりうるとし,〈形而上学的知〉〈救済知〉にたかまりうるとした。
しかしシェーラーのように人間の本質を絶対者の本質の写しとは考えず,人間がみずからの本質を一時に一挙に全面的に把握できず,たえず個人への個体化と諸文化への客体化に即してしか把握しえないのは〈何故か〉と問いつめるならば,哲学的人間学は,人間の本質への問いをつねに現在を一局面とみなす立体的視野から過程的に思考されざるをえない。その思考においては,人間の知識,実践,製作とその所産とにおけるさまざまな逆説的,矛盾的,二律背反的な事態とその言表可能性との出現に遭遇せざるをえず,この遭遇において初めて,逆説,矛盾,二律背反を合一,融解,解消せしめる超人間的なものへの帰依の祈願がひらめきうるであろう。人間の自覚が媒介と屈折と迂路を経由せざるをえないのは,人間以外の存在者との依存,因果,因縁を断ち切りえぬ人間の有限性に基づくものであるように思われる。
執筆者:茅野 良男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
日本語の人間学は、日本語の人類学とともに、本来、「アントロポロギー」の訳語である。
アントロポロギーは、初め生物学的な自然人類学であったが、のちに文化人類学が自然人類学と並ぶ人類学の一分野とされ、そこには、考古学、民族学、民俗学と並んで、社会人類学、心理学的人類学、さらには教育学的人類学まで含まれるようになってきた。他方、哲学において人間を研究するアントロポロギーは、「人間学」と訳され、これは哲学史とともにつねに存在してきたが、とりわけ近世のカント以来、人間学的傾向が強くなり、20世紀初めにシェラー、プレスナーによって哲学的人間学が提唱されてのち、実存哲学における人間中心的傾向と相まって、従来の文化人類学から展開してきた心理学的・社会学的・教育学的人類学も、心理学的人間学、社会学的人間学、教育学的人間学という訳語があてられることも、今日しばしば見受けられるようになっている。
たとえば、ガダマーとフォーグラーの共編になる『Neue Anthropologie』(1972~75)は、アントロポロギーの従来の訳語に従えば、生物学的人類学、文化人類学、社会人類学、心理学的人類学、哲学的人間学という六編を含むものであるが、これが近年、『講座現代の人間学』という題名の下に訳出されているなどは、その一例である。しかし「人間学」の語は本来、「哲学的人間学」を意味してきたし、現在もその方向が中心的であるといえる。
[清水窕子]
『ガダマー、フォーグラー編、前田嘉明他訳『講座 現代の人間学』全七巻(1979・白水社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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