善光寺跡(読み)ぜんこうじあと

日本歴史地名大系 「善光寺跡」の解説

善光寺跡
ぜんこうじあと

[現在地名]木曾川町黒田 西町北

本田(誉田)善光なる人が摂津から伝来の阿弥陀如来像を背負って信濃へ向かう途中黒田くろだに宿り、夜は庭に莚を敷いて如来を安置した。如来は善光の労をあわれんで、この場から、善光を背負って信濃まで飛んだので、この地は旧善光寺とよび、やがて定覚山善光寺と名付けたが、嘉慶二年(一三八八)の戦で廃滅したと「尾張名所図会」は記している。


善光寺跡
ぜんこうじあと

[現在地名]熊本市琴平本町

善光寺は明治三年(一八七〇)廃寺となり、寺地琴平ことひら神社の社地となった。現在神社内に残る間口一間半、切妻造本瓦葺の四脚門が唯一遺構である。「国誌」には「禅洞家、河尻大慈末寺也、往古信州本多善光建立、土宗ノ古跡ト云伝ヘ、退転ニ及シヲ建武年中大慈寺三十四世了室会和尚再興之、本尊弥陀仏也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「善光寺跡」の解説

ぜんこうじあと【善光寺跡】


北海道伊達市有珠(うす)町にある寺院跡。大臼山(おおうすざん)善光寺。19世紀初頭に江戸幕府蝦夷地に設立した三官寺の一つで、寺格は第一とされた。1806年(文化3)の記録では、本堂庫裏、鎮守社、愛宕堂、釈迦堂、一切経蔵、板蔵などが記述されているが、1822年(文政5)の有珠山噴火によってほとんどが焼失したものの、1836年(天保7)に建てられた本堂は現在まで残っている。1974年(昭和49)、ほぼ原形をとどめている本堂と境内を中心として国指定史跡となった。1613年(慶長18)に松前藩主・松前慶広が如来堂の再興を図ったという記録も残るが、1804年(文化1)、江戸幕府が蝦夷三官寺の一つとして正式に建立し、現在に至っている。JR室蘭本線有珠駅から徒歩約25分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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