善宗寺(読み)ぜんしゆうじ

日本歴史地名大系 「善宗寺」の解説

善宗寺
ぜんしゆうじ

[現在地名]大東市中垣内二丁目

須波摩すはま神社の北方にある。金剛山と号し浄土真宗本願寺派本尊阿弥陀如来。金剛山恵信院善宗寺由緒書略記(寛政一一年写、「大東市史」所収)によれば、当寺は寛徳二年(一〇四五)に大和斑鳩いかるが中宮寺が当地に一宇を建立したのに始まり、年号にちなみ金剛山恵信院寛徳かんとく寺と名付けられ、恵信作と伝える阿弥陀如来を本尊とした。のち足利尊氏の外護をうけたが、天正年中(一五七三―九二)織田信長に寺領を没収され、諸堂を焼かれた時、村の篤信者二人が火中より本尊を取出し、堂宇を再建。


善宗寺
ぜんそうじ

[現在地名]菖蒲町下栢間

国豊山天龍てんりゆう院と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。開山は了蓮社覚誉、開山年次などは不明。天正一八年(一五九〇)徳川家康関東入国の折、栢間かやま村は内藤正成の知行地となった(三千石以上分限帳「天正慶長諸大名御旗本分限帳」内閣文庫蔵)。慶長七年(一六〇二)正成が同村で病気に罹ったとき庵を建立して菩提寺とし、正成の死後、その法名善宗信士にちなみ寺号を善宗寺と改めたと伝える(元禄八年「浄土宗寺院由緒書」東京都増上寺文書)


善宗寺
ぜんそうじ

[現在地名]むつ市横迎町一丁目

横迎よこむかえ町一丁目のほぼ中央、藩政期の横迎町の東南に位置する。一乗山と号し、法華宗。本尊は釈迦牟尼。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に「善宗寺 一乗山法華宗、本能寺末寺」とある。元和二年(一六一六)京都本能ほんのう(現京都市中京区)三二世日宏の法子日意の草創と伝える(新撰陸奥国誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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