『華厳経(けごんきょう)』「入法界品(にゅうほっかいぼん)」の中心人物である求道(ぐどう)の菩薩(ぼさつ)。サンスクリット語のスダナ・シュレーシュティ・ダーラカSudhana-śrehi-dārakaの訳。福城長者の子であったが、発心(ほっしん)して、「愛着に執(とら)われ、疑いで智慧(ちえ)の目が曇り、苦しみ、煩悩(ぼんのう)の海に沈殿している私の目を覚ましてほしい」と文殊(もんじゅ)菩薩に願い、文殊の教えを受け、55か所・53人の善知識(ぜんちしき)(各自の道を究め、解脱(げだつ)への道を勧めるのにふさわしい人物)を歴訪して教えを受ける。53人のなかには、長者、医者、婆羅門(ばらもん)、外道(げどう)(仏教以外の宗教者)、また女性が20人もおり、先入観なしに謙虚に教えを受け、最後に弥勒(みろく)、文殊、普賢(ふげん)の三菩薩のところへ行き、真実の智慧を体得した。この故事より「東海道五十三次」が出たともいわれる。文学性の高い内容から、偈賛(げさん)、図説、文学の素材となり、『華厳五十五所絵巻』(東大寺蔵、国宝)、康円作文殊菩薩騎獅(きし)像(個人蔵)と安倍(あべ)文殊院の善財童子像(快慶作、国宝)はとくに著名。
[石上善應 2015年6月17日]
《華厳経》入法界品の主人公。サンスクリット名はスダナSudhana。母の胎に宿ったとき,財宝が家中に満ちたことから名づけられたという。福城(ダーニヤーカラ)の豪商の子で,福城の東,荘厳幢娑羅林(しようごんどうさらりん)で文珠(マンジュシュリー)菩薩の説法を聞いて仏道を求める心を発し,その指導によって南方に53人(数え方によって54人とも55人ともされる)の善知識(よい指導者)を訪ねて遍歴し,再び文珠のもとに戻り,最後に普賢(サマンタバドラ)菩薩の教えによって修行を完成する。善知識は菩薩,比丘,比丘尼,優婆塞(うばそく)(在家男子),優婆夷(うばい)(在家女子),神,婆羅門,王,童子,遊女などあらゆる階層にわたり,あらゆるものが求道の師であることを教えている。最後の普賢が説いた立場は普賢行(ふげんぎよう)とよばれ,一切衆生の救済を求めて永遠の活動を続けようというもの(十大願)である。
善財童子は修行者の理想とされ,後の仏教文化に大きな影響を与えた。中国にも敦煌壁画の華厳変相図の中に見られるものなど善財の遍歴を図像化したものが見られるが,日本では高弁(明恵上人)による善財童子の讃歎が有名であり,また東大寺には《華厳五十五所絵巻》《華厳海会善知識曼荼羅図》などが現存する。東海道五十三次もこの話にもとづいて制定されたともいわれる。
執筆者:末木 文美士
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…日本においては,東大寺を中心として,奈良時代と平安末から鎌倉期にかけてのものとが断続的に遺存する点が,華厳経美術を考察する上で注目される。《華厳経》には60巻本の旧訳(くゆく)と,80巻本の新訳とあるが,各本とも最終の会(え)は入法界品であり,善財童子が53人の善知識を訪ねて求法(ぐほう)する仏教説話である。この最終の会以外はすべて盧舎那仏(るしやなぶつ)(毘盧遮那(びるしやな))による華厳教理の説法である。…
…《善財童子絵》とも呼ばれるように,《華厳経》入法界品に説かれる善財童子の善知識歴参の諸場面を描いた12世紀後半の絵巻。東大寺が蔵する1巻に37図,他に藤田美術館に10図など,残欠が諸所に存する。…
…サンスクリットのポータラカPotalakaの音訳。《華厳経》によると,インドの南端にあり,善財童子がそこに赴いて観音に拝謁した。《大唐西域記》には南インドの海岸,マラヤ山の東にあると記述されている。…
※「善財童子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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