日本大百科全書(ニッポニカ) 「五十崎」の意味・わかりやすい解説
五十崎
いかざき
愛媛県西部、喜多郡(きたぐん)にあった旧町名(五十崎町(ちょう))。現在は喜多郡内子町(うちこちょう)の南西部を占める地域。1920年(大正9)町制施行。1954年(昭和29)天神(てんじん)、御祓(みそぎ)の2村と合併。2005年(平成17)小田(おだ)町とともに内子町に合併。旧町域は、肱川(ひじかわ)の支流小田川流域に位置する。JR内子線、国道56号が通じる。松山自動車道が通過し、近くに内子五十崎インターチェンジが設置されている。五十崎の名は室町時代の伊賀崎、または伊勢(いせ)の五十鈴(いすず)川にちなむなど諸説がある。小田川沿岸では米、タバコ、果樹、酪農などが盛ん。古くから製紙と製糸で知られ、紙の生産は正倉院文書に記録され、藩政時代には大洲半紙(おおずはんし)の産地となり、現在でも手漉(てす)き和紙業が残っている。明治期には製蝋(せいろう)業がおこったが、大正になって衰え、養蚕業による製糸も昭和になって衰退した。数百枚の凧(たこ)を上げて糸を切るけんかをする5月5日の大凧合戦は、県指定の無形民俗文化財。
[横山昭市]
『『五十崎町誌』(1971・五十崎町)』