内子町(読み)うちこちよう

日本歴史地名大系 「内子町」の解説

内子町
うちこちよう

面積:一二〇・六四平方キロ

喜多郡の最東端に位置し、東は上浮穴かみうけな郡、北は伊予郡、西は大洲おおず市、南は五十崎いかざき町・河辺かわべ町に接する。松山市からは、犬寄いぬよせ(三〇五メートル)を越える国道五六号と国鉄予讃本線経由内子線が通じている。

山地丘陵が全町面積の九二パーセントを占め平地内山うちやま盆地と各河谷沿いの狭小な地域に限られる。山林原野が八〇パーセント、畑地が一〇パーセント、水田は五パーセントにも満たない。


内子町
うちこちよう

2005年1月1日:喜多郡内子町・五十崎町上浮穴郡小田町が合併し、喜多郡内子町となる
【小田町】愛媛県:上浮穴郡
【内子町】愛媛県:喜多郡
【五十崎町】愛媛県:喜多郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「内子町」の意味・わかりやすい解説

内子〔町〕
うちこ

愛媛県中部,肱川支流小田流域にある町。西部は内山盆地が広がり,東部は平地に乏しく,1200m以上の山が連なる。 1890年町制。 1955年五城村,大瀬村,立川村,満穂村の4村と合体。 2005年五十崎町,小田町と合体。中山川と小田川の流域は地味肥沃農産物が豊富。中世は曾根城の城下町,江戸時代は高昌寺の門前町,宿場町として発展。大洲半紙の集散地で,紙役所も置かれた。六日市,八日市,廿日市などの定期市が開かれ,その地名が現在も残る。幕末から大正末期まで「さらしろう」の日本一の生産地であった。当時の「さらしろう」の商家家並みが八日市筋に残っており,国の伝統的建造物群保存地区に指定されている。葉タバコ,木材,クリの集散地。五十崎は大洲和紙の製造で有名。 JR内子線,国道 56号線,379号線,380号線が通る。面積 299.43km2。人口 1万5322(2020)。

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