日本大百科全書(ニッポニカ) 「四国八十八か所」の意味・わかりやすい解説
四国八十八か所
しこくはちじゅうはっかしょ
四国にある弘法(こうぼう)大師空海の霊場88所をいう。四国霊場、四国札所(ふだしょ)ともいい、これを巡拝することを遍路(へんろ)という。四国八十八か所の霊場は、815年(弘仁6)弘法大師の開創といわれ、それらのなかには弘法大師と直接のゆかりのある寺や足跡を残したところも少なくないが、実際には平安中期以後、弘法大師信仰が盛んになってから、霊場と定められたものが多い。遍路が平安末期にすでに行われていたことは『今昔物語』(1163)によっても知られるが、鎌倉初期に伊予国(愛媛県)浮穴(うけな)郡の豪族衛門三郎(えもんさぶろう)が8人の子女の急死に無常を感じ、四国霊場を順逆二十一度巡回した話は有名である。江戸時代になると、遍路はきわめて盛んになり、賢明の『四国霊場御巡行記』、真念の『四国霊場記』などがつくられ、また近年には四国霊場に関する研究や遍路の記録も多い。
88の数は88の煩悩(ぼんのう)を断滅して88所の浄土を現じ、88尊の功徳(くどく)を成就(じょうじゅ)するためといわれる。88所は阿波(あわ)国(徳島県)に24か所、土佐(とさ)国(高知県)に16か所、伊予国(愛媛県)に26か所、讃岐(さぬき)国(香川県)に22か所。なお江戸中期以後、四国八十八か所を模したものが、小豆(しょうど)島、江戸、西国(さいごく)(京都付近)をはじめ、全国各地に散在しており、大師信仰の全国的な普及を物語っている。御詠歌(ごえいか)を歌い、鈴を振り鳴らしつつ霊所を巡拝する風はいまもみられる習俗で、沿道の人々の接待や安い宿泊費で泊まれる善根宿(ぜんこんやど)(通夜宿)の風も残っている。
[勝又俊教]