デジタル大辞泉 「国中連公麻呂」の意味・読み・例文・類語 くになかのむらじ‐きみまろ【国中連公麻呂】 [?~774]奈良時代の仏師。百済くだらからの渡来人の子孫。東大寺大仏鋳造の事業を指揮し、造東大寺司次官となった。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「国中連公麻呂」の意味・読み・例文・類語 くになかのむらじ‐きみまろ【国中連公麻呂】 奈良時代の仏師。百済の帰化人の子孫。従四位下。大和の人。金光明寺(のちの東大寺)造仏所の造仏長官、造東大寺司次官となり、東大寺大仏の造立をはじめ、造寺造像事業に貢献した。宝亀五年(七七四)没。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国中連公麻呂」の意味・わかりやすい解説 国中連公麻呂くになかのむらじきみまろ [生]?[没]宝亀5 (774).10.3.奈良時代の仏師。東大寺の大仏の制作に従事した大仏師として知られる。百済の渡来人,国骨富(くにのこつふ)の孫。大和国葛下郡国中村に住んでいたので国中連の姓を名のる。東大寺大仏の制作に大鋳師従五位下の高市傎国(たけちのまくに,たけちのさねくに)とともに従事し,天平宝字5(761)年には造東大寺司次官(→造寺司)。神護景雲1(767)年に従四位下に昇任。同 2年には但馬員外介に任じられた。奈良時代の最高の仏師とされるが,官吏の地位にあったので,仏師としてよりも行政官としての手腕が優れていたとの説がある。(→奈良の大仏) 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by