国分勘兵衛(読み)コクブ カンベエ

20世紀日本人名事典 「国分勘兵衛」の解説

国分 勘兵衛(11代目)
コクブ カンベエ

昭和・平成期の実業家 国分会長。



生年
明治40(1907)年7月5日

没年
平成3(1991)年12月13日

出生地
三重県

別名
幼名=貫一

学歴〔年〕
慶応義塾大学経済学部〔昭和5年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和43年〕,勲三等瑞宝章〔昭和52年〕

経歴
家業の国分商店に入社。戦時中は召集を受け、終戦時は陸軍主計大尉。昭和25年常務を経て、46年商号変更に伴い国分社長に就任。40年にはコンピューターを導入し、情報システムを活用して、KGCの下で一般食料品店を、KFSの下に小規模酒販店をチェーン化してコンビニストアへの転換を展開した。


国分 勘兵衛(10代目)
コクブ カンベエ

大正・昭和期の実業家 国分会長。



生年
明治16(1883)年1月

没年
昭和50(1975)年2月23日

出生地
三重県松阪

本名
国分 秀次郎

旧姓(旧名)
山本

学歴〔年〕
東京高等商業学校〔明治38年〕卒

経歴
9代目国分勘兵衛の養子となり、国分商店入社、大正13年10代目を襲名。明治末から国産化学調味料、洋酒乳酸菌飲料などを取り扱い経営の近代化と事業発展に尽力。昭和13年大日本洋酒食料品商組合会長。戦後25年株式会社に改組、社長となり、46年国分株式会社会長。またカルピス食品工業の社長となり同社再建にも努めた。


国分 勘兵衛(9代目)
コクブ カンベエ

明治・大正期の実業家 国分商店店主。



生年
嘉永4年2月29日(1851年)

没年
大正13(1924)年1月

出生地
伊勢国(三重県)

経歴
8代目勘兵衛の長男として伊勢に生まれる。文久年間(1861〜1864年)江戸に上り父を手伝って醬油の醸造並びに販売に従事したが、明治維新の大変革に際し売掛金の回収不能などにより家運危機に瀕したため、明治12年家督を継いで9代目となり、13年従来の醬油製造を廃止し、食品販売問屋の国分商店を開業ビール、缶詰なども扱い販路を広げ、大正4年に合名会社として、大日本麦酒麒麟麦酒の代理店も務めた。養嗣子・秀次郎が10代目勘兵衛を継いだ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「国分勘兵衛」の解説

国分勘兵衛(4代)

没年:元文4.10.17(1739.11.17)
生年:生年不詳
江戸中期の商人屋号は大国屋。伊勢国射和(松阪市)の旧家に生まれ,同郷の江戸呉服問屋富山家に奉公,享保1(1716)年に独立して江戸日本橋に店を開いた。武家相手の呉服商売を営むが,享保期に常陸国(茨城県)土浦に出店を設け,享保10年ごろには醤油醸造を開始,江戸店を通じて,江戸醤油問屋への売り込みをはかった。その後,醤油醸造規模は拡大し,土浦店(商標・亀甲大)は江戸後期における有力醸造家の一角を占めている。また,江戸店も有力な醤油・明樽(空樽)問屋として発展した。江戸時代に輩出する伊勢商人の代表例のひとつであろう。<参考文献>林玲子「江戸醤油問屋の成立過程―大国屋勘兵衛商店を中心に」(『流通経済大学創立二十周年記念論文集』)

(谷本雅之)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「国分勘兵衛」の意味・わかりやすい解説

国分勘兵衛
こくぶかんべえ
(1883―1975)

実業家。本名秀次郎。三重県の山本家に生まれ、国分家の養子となる。東京高等商業学校(現、一橋大学)卒業後、国分商店に入る。1924年(大正13)10代勘兵衛を襲名。うま味調味料や洋酒などの新製品を取り扱い、家業を屈指の食品卸売業者に育てた。1950年(昭和25)株式会社に改組して社長に就任、1971年会長となる。なお、1950年にはカルピス食品工業の社長となり経営再建に尽力した。

[前田和利]

『国分商店小史編纂委員会編・刊『国分小史』(1962)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「国分勘兵衛」の解説

国分勘兵衛(4代) こくぶ-かんべえ

?-1739 江戸時代中期の商人。
伊勢(いせ)射和(いざわ)村(三重県松阪市)の人。江戸で同郷の呉服店富山家(大黒屋)につとめたのち,日本橋で独立開業。正徳(しょうとく)2年(1712)常陸(ひたち)(茨城県)土浦で地元産の小麦,大豆を原料に醤油(しょうゆ)の醸造をはじめる。土浦醤油製造の元祖で,江戸の店も有力な醤油問屋となった。元文4年10月17日死去。名は宗山。屋号は大国屋。

国分勘兵衛(10代) こくぶ-かんべえ

1883-1975 大正-昭和時代の実業家。
明治16年1月19日生まれ。9代国分勘兵衛の養子。明治38年国分商店にはいる。大正13年10代を襲名。醤油(しょうゆ),ビールのほか化学調味料や洋酒,カルピスなどをあつかい,家業を発展させた。昭和25年カルピス食品工業社長。昭和50年2月23日死去。92歳。三重県出身。東京高商(現一橋大)卒。旧姓は山本。本名は秀次郎。

国分勘兵衛(11代) こくぶ-かんべえ

1907-1991 昭和-平成時代の経営者。
明治40年7月15日生まれ。10代国分勘兵衛の長男。国分商店に入社。昭和25年常務,46年社長となり,社名を国分と改称。国分グローサーズチェーン(小売店),国分タウンショップチェーン(酒販店)などを発足させ,食品・酒類卸業として新流通システムをきずいた。平成3年12月13日死去。84歳。東京出身。慶大卒。幼名は貫一。

国分勘兵衛(9代) こくぶ-かんべえ

1851-1924 明治-大正時代の経営者。
嘉永(かえい)4年2月29日生まれ。明治12年家督をつぎ,翌年従来の醤油(しょうゆ)製造を廃止し食品販売問屋の国分商店を開業。ビール,缶詰などもあつかい販路をひろげ,大正4年に合名会社とした。大正13年1月死去。74歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。

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367日誕生日大事典 「国分勘兵衛」の解説

国分 勘兵衛(10代目) (こくぶ かんべえ)

生年月日:1883年1月19日
大正時代;昭和時代の実業家。カルピス食品工業社長
1975年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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