価値について論じられることは,経済学で価値が問題になるはるか以前から多かった。しかし価値を文化的なあるいは哲学的な次元で問題にするかぎり,それは主観的な判断に属する。ところが財あるいは貨物(かぶつ)についてその価値が論じられることになれば,それはなんらかの形で客観的な評価をめざすものとならざるをえない。すでにギリシアのアリストテレスはそれを問題にしていたが,財の価値の客観的な根拠を求めても得られるものではない,として探求を中途で放棄している。しかし近代になると,人は富を定義するとき,もはや価値の問題を避けては通れなかった。経済学の発展とともに,財の価値の理論は労働量,効用,希少性などをその基準としながら考察を深めていくことになる。
価値の理論における歴史的展開過程をたどると,経済学の成熟をみる19世紀以降の段階では,その発展の方向は労働価値説と限界効用価値説とにはっきり大別できる。前者は財の生産に必要な労働の量にもとづいて,その財の価値を客観的に決定づけようとする学説である。後者は,財の価値が消費されるその財の最終1単位の効用すなわち限界効用によって決定されるとする学説であって,しかも効用の測定を個々人の主観的な判断に帰着させるものである。この対置からみても,労働価値説は財の価値を人間の労働の社会的関係のなかに客観的に基礎づけようとするものであることは明らかであろう。しかも財の価値が広く問題となる社会では,財は一般に商品という形態をとっている。だから労働価値説は,とりあえず労働の量がなんらかの意味で,商品の価値の規定的な原因であることを主張する学説であるといえよう。
労働価値説の歴史自体は決して短いものではない。17世紀のW.ペティはその《租税貢納論》(1662)において,穀物と銀の生産における剰余生産物の価値の比較から,部分的ではあるが素朴な形で労働が価値の積極的な要因であることを主張した。しかし体系的な形では18世紀後半のA.スミスがはじめてそれを論じたといってよいだろう。スミスはその《国富論》(1776)において,労働こそが人間が自然に対して支払う〈本源的購買貨幣〉であることを明らかにするとともに,労働の量が価値の真実の標準尺度であることを指摘し,それを彼の経済学の体系の基礎に据えた。しかし,その規定が商品を生産するのに投下された労働量によるのか(投下労働価値説),それとも商品が支配することのできる労働量によるのか(支配労働価値説)を必ずしも明りょうにはしなかった。しかもその2様の把握は資本主義的商品生産社会を〈初期未開社会〉と区別する彼の視点とも対応し,最終的には彼自身の労働価値説を市場の需給関係で決定される賃金,利潤,地代それぞれの自然率によって構成される現象に埋没した生産費説に帰着させることになった。
その後19世紀に入ってD.リカードはその主著《経済学および課税の原理》(1817)において,彼が矛盾すると考えたスミスの二つの見解を投下労働価値説に一本化することによって論理的に首尾一貫した整合的な理論にしようと努めた。スミスが投下労働説が維持できないとした資本蓄積と土地所有の成立以後の社会においても,商品の価値は生産に投下された総労働量によって依然として規定され尺度されるというのがリカードの見解であった。しかしそのリカードの見解も,彼自身がはっきり認めていたように,投下労働量による価値規定の原則が,各資本が生産の諸条件を異にする場合には,資本の利潤率均等化の原則と必ずしも合致しえなくなるという点で,労働価値説の修正を余儀なくされたのである。かくして労働価値説はここに破綻(はたん)せざるをえなくなった。
それ以後の経済学の展開は,たとえばマカロックJohn Ramsay McCulloch(1789-1864)の《経済学原理》(1825)にみるように,労働とは一つの作用であって人間以外の下等動物によってなされようと,自然力によってなされようと同じであるというような独断的主張によって,リカードの労働価値説の矛盾を糊塗しようとして,かえってその崩壊を促進する結果しかもたらさなかったのである。
したがって労働価値説においてリカード以後,それを再構成し新たな次元に立って発展させるためには,K.マルクスの登場をまたなければならなかった。マルクスは《資本論》(第1巻1867,第2巻1885,第3巻1894)において,リカードに代表されるイギリス古典学派の労働価値説を基本的には継承しながらその難点を克服し,投下労働量による商品の交換価値の決定原理としてそれをより精緻(せいち)なものに仕上げた。そして〈労働力の価値〉という新しい概念の確立を通して,産業資本の利潤の源泉が労働者のつくり出す剰余価値にあることを証明した。さらにマルクスは労働価値説を古典学派(古典派経済学)のように単なる個々の商品の交換価値の決定原理としてだけではなく,労働過程一般の分析を媒介にして資本主義の社会的労働配分の基本的原理として統一的に把握する見地をも明らかにした。古典学派との継承関係は《資本論》第1巻冒頭の商品論での2商品間の交換関係のなかで労働価値説を論証するという方法のうちにうかがわれる。また価値法則の根拠を全面的な資本の生産過程の問題と関連させようとする視角は,第1巻第3編〈労働過程と価値増殖過程〉のなかに明らかにされているといってよいであろう。
そこで,マルクスは,あらゆる社会において生産物の獲得には一定量の労働を必要とするという労働生産過程の一般的原則を,労働力の商品化を根拠にする資本の価値形成増殖過程において,法則的に明らかにしようという意図を示している。その見地はまた《資本論》第3巻における個別資本の利潤率をめぐる資本の競争を通じて成立する生産価格をも見通しているのであって,マルクスがイギリスのペティとともに17世紀のフランスのP.Le P.ボアギュベールを,競争が正しい価値の比率を生み出す社会的過程としてとらえることによって意識的ではないにしても労働価値説の出発点を与えたとして高く評価しているのは,そのことを踏まえてのものとみてよいであろう。
実際,マルクスは,リカードのつまずきの原因となった利潤率均等化と投下労働にもとづく等価交換の原則との矛盾の問題を,《資本論》第3巻において,利潤率均等化によって成立する生産価格と価値とが総額において等しく,またその前提として利潤総額も剰余価値総額に等しいという総計一致二命題によって解決しようとしたのである。そしてその解決は,労働価値説を単に商品の交換比率の決定原理として理解するのでなく,社会的で均衡的な労働配分を資本主義がいかに法則的に処理しているかという問題として労働価値説を理解することなしには,もともと成り立ちえないものであったといってよいであろう。労働価値説はこのようにしてマルクスにおいて古典的に完成をみたとされたのである。
しかしながら労働価値説そのものへの批判も,《資本論》の登場とともに高まりをみせてくる。19世紀末期の限界革命による限界効用価値説の登場,なかんずくオーストリア学派による展開は,もともとマルクスの労働価値説の否定をもめざすものであった。オーストリア学派の重鎮E.vonベーム・バウェルクのマルクス批判の論文《マルクス学説体系の終焉(しゆうえん)》(1896)はその典型的なあらわれとみてよい。それは概していえば,労働という生産の単一な要因による価値の決定に対する疑問に集約されるものでありうる。さらにそれは,マルクスが《資本論》第3巻で生産価格論を説いたことを,《資本論》第1巻の価値論との矛盾の問題としてあからさまに批判しようとするものであった。
ベーム・バウェルクのマルクス批判は,今日の主としてマルクスの生産価格論をめぐって行われている〈転化問題〉論争に至るまで,マルクス批判のプロトタイプをなすものといってよい。他方,それの反批判としてのオーストリアのマルクス主義者R.ヒルファディングの見解《ベーム・バウェルクのマルクス批判》(1904)も反批判の代表的なものとなった。F.エンゲルスのマルクス解釈に依拠しつつ,ヒルファディングが主張した,価値と生産価格の関係を歴史的前提の変化にもとづく価値法則の変形として説明しようとする理解は,価値の生産価格への転化論における歴史=論理(照応)説として,のちに大きな影響を与えるものとなった。第2次大戦前の日本においてマルクス価値論を批判した小泉信三に対する櫛田民蔵の反論などは,その日本版ともいえるものであった。
ところで欧米においてはイギリスのウィクスティードPhilip Henry Wicksteed(1844-1927)の《資本論--ある批判》(1884)やベーム・バウェルクの前掲のマルクス批判などによって,奇妙にも労働価値説やマルクス経済学研究への関心をほとんど失ってしまったが,第2次大戦前・戦中の激しい弾圧にもかかわらずマルクス経済学への関心と研究への意欲を絶やすことのなかった日本においては,戦後,新しい方法の提示によって労働価値説の研究に新たな展開がみられた。宇野弘蔵(1897-1977)はその《経済原論》(上巻1950,下巻1952)において,商品,貨幣,資本などの流通形態とその展開を流通論として説き,資本の生産,流通,再生産の問題を扱う生産論と区別した。そしてマルクスがもっぱら行ったように,商品論で個々の商品の交換関係のなかで労働価値説を論証するのでなく,マルクスが他方である程度示唆していたように,資本の生産過程において,労働力の再生産に必要な生活資料は必ず確保されなければならないという事実のもとに,労働力に支払われる賃金による生活資料の買戻しを通して生産に要する労働時間を基準にして生活資料が,そして生活手段が相互に交換されるということが,論証された。これによって,2商品の等置関係から価値実体の労働を導出するマルクスの方法を,同義反復であって論証にならないとするベーム・バウェルクの疑念を一掃した。それと同時に,宇野は価値と生産価格を生産論と諸資本の競争を扱う分配論という二つの異なる論理的次元における範疇(はんちゆう)としてとらえることによって,両者を矛盾とする同じくベーム・バウェルクの批判を一蹴した。さらにヒルファディング流の歴史的範疇としてとらえる理解の限界をも克服しうる新たな理論的地平を開き,それによってマルクスの労働価値説の根拠をより強固なものとしようとした。そしてその解決の方向は,さらに後継者による理論的な整備を通して一段と展開を遂げ,今日最も有効なものとみなすものも少なくない。とはいえその方法は必ずしも全面的に支持されているとはいえず,多くの批判が寄せられている。しかしそれらは概してマルクス自身の解決をそのまま承認するものであって,マルクスにはなんら未解決な問題は存在しないとする結論に終わっているようにみえる。
ところで前述の転化(転形)問題論争は主として価値と生産価格の問題に焦点を合わせながら,世界的規模で多くのマルクス経済学者と近代経済学者を巻き込み,今日なお継続して行われている現代の論争であるが,そのなかには労働価値説に対するさまざまな見解が示されている。
《資本論》の方法になお残された問題があることを意識しつつ,それを新たな角度から把握しなおそうと試みる欧米のマルクス経済学者のなかには,マルクスの価値論を単なる労働による商品の交換価値の決定の問題にとどめることなく,剰余価値の生産をめぐる資本と賃労働との生産関係を解明するものとする見解を主張するものがあり,それはデサイMeghnad Desai(1940- )の《マルクス経済学》(1979)のように〈目に見えない価値の領域〉と〈目に見える価格の領域〉とを次元的に区別し,日本の宇野理論による研究の成果と興味ある類似を示しているものもある。他方,論争の過程で近代経済学の側から労働価値説がきわめて限定的な条件でしか成立しえないとする森嶋通夫や,それを形而上学として葬り去ろうとするP.A.サミュエルソンなど,かつてO.ランゲやJ.ロビンソンなどが主張したようないわば伝統的な理解の枠のなかでの議論をくり返しているもののほかに,最近マルクス経済学者のなかにも,P.スラッファの影響を受けたスティードマンIan Steedman(1941- )の《スラッファ以降のマルクス》(1977)のように,結合生産物の場合には負の価値が成立しうるとして労働価値説を否定する論者があらわれて大きな関心を集めている。しかしこの種の議論は数学的推論の特殊性によるものと考えるべきであって,投下労働量が負の価値を生むことは経済的にはありえないことであり,労働価値説がこれによって否定されることはない。もちろん今日,労働価値説にはまったく問題がないと考えるのは,あまりにナイーブであろう。実際それが単純に商品の交換比率の量的な決定原理として把握されているかぎり,そうである。しかし,マルクス経済学において,労働価値説は単に商品の交換関係の分析にのみかかわるのでなく,また生産過程を一般的に明らかにしようとするものでもなく,資本の流通,生産そして再生産の総過程を通じて,その動態を総括する基本的な分析視角を提供するものと考えるならば,マルクスの労働価値説の意義は否定できないであろう。人間が生産を行うには労働を必要とするという一般的原則を,労働力の商品化を軸として価値法則として実現していくという資本主義的生産に対するマルクスの洞察を超えるものを,われわれはまだもっていないのである。
→価値
執筆者:桜井 毅
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
商品の価値はその商品を生産するために社会的に必要な労働時間によって決定されるという理論をいう。労働時間による商品価値の規定を商品交換の基準とし客観化するので、欲望・効用を基準に商品価値を説明する主観価値説に対して客観価値説ともいう。労働価値説は、ウィリアム・ペティによって初めて着目され、古典派経済学――イギリスではペティのほかA・スミス、D・リカードに代表され、フランスではボワギルベールに始まり、F・ケネーを経て、シスモンディに代表される――によって発展させられたのち、さらにK・マルクスによってこの古典派経済学が批判的に検討克服されて完成された。
経済学を体系化したスミスは、一方で商品の価値の量をその商品の生産に必要な労働によって規定し、分業と交換の行われる社会ではその商品の交換を通して私的労働が社会的労働に結合し、価値の実体を労働ととらえる投下労働価値説を展開したが、他方で、「資財が特定の人々に蓄積される」資本主義社会では、商品の価値の量は、その商品で交換される労働の量、すなわち支配または購買しうる労働の量によって規定されるという支配労働価値説を説く。両者は単純な商品生産では一致するが、前者は生産における労働からの規定であるのに対し、後者は流通からの規定であって、両者はまったく異なり、スミスは両者を混同していた。またスミスは、一方で投下労働からの商品の自然価格が賃金、利潤、地代に分解する(価値分解説)とし、他方でこれら賃金、利潤、地代の三所得から構成される(価値構成説)と説くが、後者は各所得であるから、各所得の需給関係から規定され、投下労働による規定と異なる。これは流通により、支配労働説に基づくことになる。このようにスミスでは、一方で社会の本質的内的連関から規定するが、他方でその現象形態から規定する二元論となっている。
リカードは、この二元論のうち投下労働価値説・価値分解説を正しく継承発展させ、スミスの支配労働価値説・価値構成説の誤りを厳格に批判し、労働価値説を純化した。だが彼も価値の量のみに分析を向け、価値の実体をなす労働の質的規定を等閑にし、価値で表される労働(=抽象的人間労働)を使用価値で示される限りの労働(=具体的有用労働)から明確に区別できなかった。また、商品の価値形態を商品価値の本性にとってはどうでもよい外的なものとみなし、価値と交換価値との内的連関を問題にしなかった。さらに、利潤の源泉、平均利潤の形成、生産価格の成立という事実を投下労働の価値に基づいて説明することができず、労働価値説を修正せざるをえなかった。
マルクスは、これらの欠陥を根本的に批判し、古典派経済学研究の批判的最終成果として得た労働の二重性(具体的有用労働と抽象的人間労働)から労働価値説を厳密に打ち立てる。まず、商品の価値の実体として、商品の使用価値を生産する具体的有用労働とはべつに抽象的人間労働をとらえ、労働力、その支出=労働、労働の対象化を区別して価値の形成を明らかにする。その場合の労働も質的差異をなくし、抽象的人間労働としてその度量単位に単純労働を基準とする。それゆえ複雑労働が単純労働に還元される。次に、商品の価値量は、この抽象的人間労働の量、すなわち労働時間によって決まる。この労働時間は個々の生産者が費やすそれではなく、社会的必要労働時間である。それは、現在の社会的に正常な生産条件と、労働の熟練および強度の社会的平均度とをもってある商品を生産するのに必要とされる労働時間のことである。この労働時間の規定がマルクスの価値法則である。
マルクスは、労働の二重性に基づいて価値と交換価値との関連、貨幣の本質と機能、労働過程と価値増殖過程を明らかにし、価値法則に基づいて資本と賃労働の交換、労働と労働力商品の区別による剰余価値の生産を解明し、さらに総平均利潤が総剰余価値に等しく、全商品生産価格の総計がその価値総計に等しいことによって生産価格(費用価格+平均利潤)を価値の転化された形態として明らかにして労働価値説を完成させ、自己の全経済学説を展開した。ここに経済学の諸概念、その運動、およびそこに貫徹する法則が労働価値説によって基礎づけられた。
[海道勝稔]
『K・マルクス著『資本論』(向坂逸郎訳・岩波文庫/岡崎次郎訳・大月書店・国民文庫)』▽『K・マルクス著『経済学批判』(武田隆夫他訳・岩波文庫/杉本俊朗訳・大月書店・国民文庫)』▽『K・マルクス著、岡崎次郎・時永淑訳『剰余価値学説史』(大月書店・国民文庫)』
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…つまり,諸商品のあいだの相対価格を潜在的あるいは本質的に規定するものとしての交換価値を分析するのが経済学の価値論である。
[労働価値説]
価値の源泉は労働にありという論点を経済学的に明白にしたのはスミスである。彼の以前にもたとえばJ.ロックが労働価値説を提示していたが,それはまだ社会哲学的な仮説にとどまっていたのであり,経済学的な仮説として労働価値説を明らかにしたのはスミスだといえる。…
…そして,古典派経済学の最後の巨峰はJ.S.ミルであり,その著《経済学原理》(1848)は古典派経済学の完成の記念碑である。 スミスは,商品の交換比率は生産に必要な労働量によって決まるという投下労働価値説を,土地所有と資本蓄積のない未開社会にのみ認め,土地所有と資本蓄積のある社会については長期的な需要と供給の均衡により,賃金,地代,利潤の自然率の和として商品の自然価格が決定されるものとした。しかしリカードは,若干の修正の必要を認めながらも,未開社会でなくても投下労働価値説が基本的には成立すると主張し,商品の交換比率は需要から独立であるとする。…
…しかし《資本論》の体系の構成からいうと,このイデオロギーの面が,ネガティブに,裏面になっていて,イギリス古典学派の批判的展開としての経済学が,ポジティブに,表面に,出ている形になっている。
[イギリス古典派経済学]
A.スミスの《国富論》や,D.リカードの《経済学および課税の原理》によって代表されるイギリス古典派経済学は,確立しつつあった資本制商品経済社会の基盤に立って,社会各層の生活の基礎である賃金や利潤,地代などの所得のカテゴリーを,商品価格の構成要素として取り出し,それらの相互関係や運動を,商品の売買(=価格)に働く交換価値法則(労働価値説)によって説明しようとした。こうして資本主義社会の経済的編成とその運動法則を明らかにしようとする経済学の古典的なパラダイムができあがった。…
…価値とは,それに対し,ものが商品という社会的形態をとることによってもつ商品としての価値のことであり,貨幣によって測られ価格という形で表されるものである。需要と供給によって変動する商品の価格が究極には何によって決定されるのか,つまり商品の価値が何によって規定されるのかという問題に関しては,古典派やK.マルクスのように生産に要する労働量にそれを求める労働価値説・客観的価値論と,C.メンガー,W.S.ジェボンズらにおけるように効用という心理学的事象から説明する効用学説・主観的価値論の系譜がある。今日では,労働時間や効用という特定の生理学的・心理学的実体に価値・価格を結びつけるのではなく,需要と供給からなる市場のシステマティックな相互作用によって価格が決定されるという均衡論的説明が一般的である。…
…このような角度から利潤を論じるとき当然問題となるのは剰余生産物とは何であり,またそれがどのようにして階級間に分配されるかということであって,分配のあり方は資本主義経済をそのまま特徴づけることになる。 剰余生産物は物的にみると生産物の中から原材料や機械設備の減耗分を補塡(ほてん)し,さらに労働者の生活物資を取りのけたあとに残る超過部分であるが,マルクスの労働価値説は,剰余生産物は資本主義社会においては剰余価値という姿をとり,それを生み出すのは労働者の剰余労働であると論じた。利潤の源泉はこの剰余価値にあり,利潤は剰余価値の転化した姿にほかならない。…
※「労働価値説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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