国役普請(読み)クニヤクブシン

デジタル大辞泉 「国役普請」の意味・読み・例文・類語

くにやく‐ぶしん【国役普請】

江戸時代国役金を徴収して実施した土木工事費用の10分の1を幕府負担とし、残りを国役とした。

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精選版 日本国語大辞典 「国役普請」の意味・読み・例文・類語

くにやく‐ぶしん【国役普請】

  1. 〘 名詞 〙 江戸時代、国役として実施した土木工事。その地域の公私領の町村から費用を徴収し、幕府も一割を負担する。
    1. [初出の実例]「濃州壱万石以下私領方堤川除破損之時、手前普請難叶所は、公儀え相願。国役御普請仰付来候」(出典:徳川禁令考‐前集・第六・巻五九・元祿八年(1695)八月)

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改訂新版 世界大百科事典 「国役普請」の意味・わかりやすい解説

国役普請 (くにやくぶしん)

江戸時代の治水制度の一つで,大規模河川の普請に際して当該河川を含む諸国を対象にして,その幕領・私領一円の農民から平均に国役を徴集し,幕府の主導の下にこれを遂行する形態のものをいう。

国役的な方式による河川普請は,1594年(文禄3)に豊臣秀吉の下で〈惣国罷出〉でなされた尾張国の築堤工事が古いものとして挙げられる。江戸時代初期には三河美濃,尾張,畿内備中などの諸国で同種の形態の普請の行われていたことが史料に散見する。その後,この国役的な形態をもつ普請は整理されていったと思われ,畿内と美濃国にそれぞれ独自の慣行に基づく制度が残された。前期の国役普請においては国役人足の動員の責任が各所領の大名旗本らにゆだねられ,普請の施行に際してもこれら私領主に持場分担割り当てる方式がとられ,後の御手伝普請の形態に類似したものであったと推測される。

幕府は1720年(享保5)に国役普請令を発布して国役普請を恒常的制度として広域的に設定した。すなわち関東,東海,越後,美濃,畿内の河川普請について,一国一円を領有するものや20万石以上の大名はこれまでどおり自普請を行うこととし,それ以下の大名・旗本・寺社の所領および幕領内の普請は,幕府が総費用の10分の1を負担して遂行し,残額は国役金として幕領・私領の区別なく高割りをしてその農民より徴収するというものである。例えば関東地域では利根川,荒川,鬼怒川など7川が国役普請対象河川となり,ある年度に幕府普請方役人団の手で幕府の立替支出(〈取替金〉と称する)をもって普請した後,その年度中の普請総額の1割を幕府の純支出とし,残余の9割をこの地方の武蔵,下総,常陸,上野,安房,上総の6ヵ国288万石余に高割りし,農民より国役金として幕府立替支出分を回収するという形をとるのである。これは普請が幕府側の判断のみで行われる標準的な型であるが,私領主側よりの出願による国役普請の場合(〈私領願国役普請〉と称する)には,当該普請個所を含む私領村について村高100石当り金10両の私領出金分を幕府に提出せねばならなかった。この場合には先の普請総額から私領出金分を控除した後,その1割を幕府純支出,9割を国役金として賦課する形がとられた。享保国役普請制の施行に伴って,従前よりあった美濃国・畿内のそれにも改変が加えられた。美濃国では国役の金納化はなされたものの,役賦課などの方式は〈濃州国法〉と呼ばれる独自の制度が継続された。畿内では1722年以降おおむね全国的制度と同様に変更されている(ただし私領願いに伴う私領出金分の制度はない)。

 国役普請制度は停止と復活を繰り返しつつ江戸時代を通じて持続され,明治新政府にも引き継がれるが,1875年の太政官布告で前年12月末日をもって廃止された。
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百科事典マイペディア 「国役普請」の意味・わかりやすい解説

国役普請【くにやくぶしん】

〈こくやくぶしん〉ともいう。江戸時代,幕府主導の下に農民から一定の基準で人足などを動員して行われた大規模な河川工事。おもに幕府領・私領の入り組んだ地域を流れる河川で実施された。この形態は豊臣秀吉が尾張国で〈惣国罷出〉で行った築堤工事が古い例。江戸時代前期には国役人足の動員の責任が各所領の大名・旗本らにゆだねられ,私領主に持場を分担して割り当てる方式がとられたようだ。1720年幕府は国役普請令を発布。関東,東海,越後,美濃,畿内の河川の治水工事について,一国を領有する大名や20万石以上の大名は自普請,それ以下の大名・旗本・寺社の所領および幕府領内の普請は,幕府が10分の1を負担,残りは国役金として幕府領・私領一円の農民から高割りして平均に徴収することとした。この制度はその後停止された時期もあるが,江戸時代を通じて存続し,1875年の太政官布告で廃止された。
→関連項目高田藩

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「国役普請」の解説

国役普請
くにやくぶしん

江戸幕府が国郡を単位とし,同一の基準で人足や費用を徴して行った大規模な土木工事。江戸前期に摂津・河内両国や美濃国の治水制度として成立。1720年(享保5)幕府は諸国の堤川除普請について,国持大名または20万石以上の大名は従来どおり自普請とし,それ以下の領主で自力の普請が困難な場合は幕府主導の国役普請とすることを令し,24年に15カ条の施行細則を発布。国役指定河川と適用規定額,国役賦課国を定め,普請費用が規定額に相当するとき国役普請となった。しかし幕府の立替金が増加して32年に中断。58年(宝暦8)再開されたが,1811年(文化8)万石以上の出願を停止した。

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世界大百科事典(旧版)内の国役普請の言及

【国役】より


[農民の国役]
 幕府による大規模普請や御用人馬の通行に際して関係諸国の幕領,私領一円の農民に国役が課された。
[治水国役]
 国役を動員して行われる河川普請は国役普請と呼ばれる。近世前期の国役普請においては,普請人足が農民から国役として徴集された。…

【御普請】より

…例えば1780年(安永9)に行われた品川用水の悪水吐伏樋の伏替御普請では,材木・釘代・マキ皮代や大工・木挽・鳶人足の賃金は幕府が支出し,人足と空俵,それに江戸より御普請場までの材木・鉄物の運賃は組合諸村に課せられている。なお公儀の御普請においては,幕領・私領の別なく国役を徴して行う国役普請や,大名に費用を負担させて行う御手伝普請も実施された。藩の場合も幕府と同じく藩が主導する工事と,村落レベルで行う工事とがあり,例えば鳥取藩では前者を郡(こおり)普請,後者を村普請といった。…

【普請役】より

…大名は幕府から,給人はそれぞれの主君から領知・知行を給与されていること,百姓は土地を所持し,耕作する権利を認められていることによる負担義務の一つ。近世初頭,統一政権が施行した大規模な土木工事において,普請役は石高基準の国役(くにやく)として統一的に賦課されたが(国役普請),幕藩制が確立すると,大名に対する普請役は公儀の御普請御手伝(ごふしんおてつだい)として個別的に賦課されるようになった。御手伝普請の内容も,当初は人足の提供を主とするものであったが,現夫(げんぷ)の徴発が困難となった中期以降しだいに変容し,やがて金納化した。…

【美濃国】より

…ともかく水害多発地帯である当国では,17世紀中ごろまでに岡田善同(よしあつ)・善政父子によるとされる〈将監定法〉ないし〈美濃国法〉と呼ばれる当国独自の普請制度が成立した。これによるような国役普請(くにやくぶしん)は,享保~宝暦期(1716‐64)に中断されるものの近世を通じて50件にせまり,18世紀中ごろ以降にはじまる遠隔地大名に課せられた御手伝(おてつだい)普請は十数件,そのほか幕府の手による御救普請,大名手限普請,それに地元農民の手による自普請など大小さまざまな治水工事が行われた。1703年(元禄16)に続く05年(宝永2)の三川をはじめとする美濃諸河川の河道整理(大取払)の国役普請,54年(宝暦4)にはじまる油島締切と大榑川洗堰(あらいぜき)築堤による三川分流の薩摩藩御手伝普請――40万両の出費と藩士その他の犠牲者80余名(宝暦治水事件)――などは,大規模な工事の一つとして有名だが,これらの工事を余儀なくさせた水害多発の原因に,河床の上昇や遊水池の減少,排水の困難さなどがあり,それがおもに新田開発の進行によるものであったということが注目される。…

※「国役普請」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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