信教の自由(読み)シンキョウノジユウ(英語表記)freedom of religion

デジタル大辞泉 「信教の自由」の意味・読み・例文・類語

しんきょう‐の‐じゆう〔シンケウ‐ジイウ〕【信教の自由】

宗教を信じる、または信じない自由。宗教的行為の自由、礼拝・集会の自由、宗教的結社の自由、宗教の選択・変更の自由、無宗教の自由をも含む。日本では基本的人権の一つとして憲法で保障している。宗教の自由。→日本国憲法第20条

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精選版 日本国語大辞典 「信教の自由」の意味・読み・例文・類語

しんきょう【信教】 の 自由(じゆう)

  1. 宗教を信仰すること、または信仰しないことに関する自由。宗教の選択の自由、礼拝集会の自由、宗教結社の自由等を含む。基本的な自由権の一つとして、日本の憲法もこれを保障している。〔大日本帝国憲法(明治二二年)(1889)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「信教の自由」の意味・わかりやすい解説

信教の自由 (しんきょうのじゆう)
freedom of religion

信仰およびそれに伴ういっさいの表現の自由,したがってまた何ぴとも自己の信じない宗教儀式に参加しなくてよい自由が法律によって保障されること。基本的人権の一部をなし,人権獲得の先駆的役割を演じるとともにその精神的基礎となった。今日ほとんどすべての国家が憲法でこれを規定している。思想的には西欧キリスト教国において発展し,アメリカで1786年の〈バージニア信教自由法〉において確立された。キリスト教の信仰は最も古くから自由を主張しているが,それは内的自由であって,殉教によっても失われぬものである。しかし信仰は告白,宣教,教育活動,普遍的な愛の行動を伴わずにおかず,これらが公権力による禁止と衝突する場合が少なからずあった。この場合は殉教や亡命では解決できないことが徐々に理解され,抵抗によって自由を獲得しようとする動きが中世の後期に現れる。これらの動きはすべて異端として断罪され,したがって宗教的真理に立った主張とは認められなかった。

 16世紀に至って宗教改革は西欧の宗教を二分し,旧来の宗教に対して互角の論陣を張ったため,その主張が宗教的根拠を持たぬものであると断定することはもはやできなくなる。すなわち,宗教についての考え方が多元化しはじめた。局部的に見れば,この時代,あらゆる地域で宗教的抗争が行われ,公権力と結びついた多数派の宗教が少数派を排除するという形をとり,この点に関しては〈信教の自由〉は無視された。この時代に公権力と宗教を分離させる主張をしたのは宗教改革急進派(たとえば再洗礼派)であるが,この派の思想は無政府主義に傾いていて国法を重要視しなかったので,〈信教の自由〉を国法に保障させようとする努力は生じなかった。宗教的抗争への反省から寛容思想が力を得,国家理念が世俗化して国家の宗教的意味づけを考えなくなるに及んで,国家と宗教は分離し,特定宗教に対する公権力の支持も圧迫もなくなった。それゆえ〈信教の自由〉と〈政教分離〉は不可分である。
寛容
執筆者:

17,18世紀のヨーロッパやアメリカの市民革命の憲法思想においては,国家は世俗的利害にかかわり,宗教的関心(魂の救済)にはかかわりえないし,かかわってはならないと考えられた。これを国家の宗教的中立性という。その具体化は各国の文化的・歴史的・政治的条件によって異なる。したがって国家と宗教の関係をそれらの条件を考慮に入れて実証的に考察すべきであろう。また今日では,たとえ国教制をとる国であっても,個人は宗教を信ずる自由や信じない自由,また宗教的活動を行ったり宗教による不利益を受けない自由をもつという〈信教の自由〉(信仰の自由または宗教的自由)をまったく否定し生命身体を危険に陥れる国はない。それゆえに信教の自由は全世界で普遍妥当する人権であるとして高く評価される(世界人権宣言等でも信教の自由がうたわれている)。したがって現代の課題はこの自由をいっそう保障し実現することである。

宗教的中立性の具体化は信教の自由をいっそう進める方向で追求されるべきであり,そのために国家と宗教の関係の概観は有益で示唆に富むと思われる。

 まず,かつての社会主義国では一般に国家と宗教を厳格に分離し,〈国家が宗教団体に特権を与えたり,みずからも宗教的活動をしない〉という〈政教分離〉が制度化されていた。それは特に宗教が政治に影響を及ぼすことに対して警戒的,敵対的だからであろう。例えば旧ソ連憲法は無神論の宣伝とそれを学校で教えることを保障していたが,これは,ソ連が特定の思想,イデオロギーに基づいて国づくりをしていたことからくるものといえよう。ソ連では,宗教が個人の内部にとどまるかぎりそれを保障し,その活動には経済的保障を与えていて,国教以外の宗教を抑圧した革命前に比べれば信教の自由ははるかに保障されていたが,他方,宗教が個人の内部にとどまらず政治体制の根幹に触れる場合には当局から厳しく活動を制限され,この点は西側から批判されていた。

 国教制(特定の宗教の優位の公的承認も含む)をとる国は,おもに中南米(キリスト教),アジア(仏教,イスラム教),中近東・アフリカ(イスラム教,キリスト教)の発展途上国に存在するほか,全般的に資本主義経済の発達したヨーロッパ(キリスト教)にも見いだされる。ヨーロッパでも,信教の自由がもっとも保障されるイギリスから,強く制限されるスペインまでの幅がある。そのように国教制といってもイギリスに近いものとスペインや発展途上国に近いものがあり,それらの相違は政治的自由の強弱に関係があることに注意を要する。

 宗教的中立性の具体化を実際に試みている国は,前述の社会主義国だけでなく,発展途上国にも先進・中進国にも見いだされるが,だいたいの傾向を分類すると,(1)国家と宗教とくにローマ・カトリック教会の関係を国家間の条約のように扱う〈協約〉(コンコルダート政教条約宗教条約)方式(イタリア,ドイツ),(2)その国で実際に優勢な宗教を尊重する〈寛容令〉方式(スイス,ベルギー,ドイツ,フランス,ブラジル),(3)憲法規定上国家と宗教を厳格に分離する〈政教分離〉方式(アメリカ合衆国メキシコ,フランス,トルコ,インド,韓国,日本)がある。以上の(1)(2)(3)の方式は現実には重複することもあり,まったく形式的に分類されるものではない。

アメリカ連邦憲法の権利章典は〈自由な宗教的活動〉(信教の自由)と〈国教樹立禁止〉(政教分離)の両面から宗教的中立性を具体化した代表的な史上初の例である。〈自由な宗教的活動〉について,モルモン教徒の一夫多妻を認めなかった連邦最高裁判決がある。裁判所は,具体的行為と宗教概念を分離することで宗教概念を拡張する傾向を示している。また大統領就任のときの宗教的宣誓や祈りなど国家と結びつく宗教的慣行は多く,しばしば〈国教樹立禁止〉違反の声があがる。連邦最高裁は公立学校の教室での祈りを違憲と判決したが,教区学校への通学用バス代を児童に補助しても〈政教分離の壁〉に反しないと判決した。違憲・合憲の使い分けが注目される。

日本国憲法20条はすべての人に信教の自由を保障し,宗教儀式への強制参加を禁じ,同14条は信条による差別を認めない(信教の自由)。また同20条は国家にいっさいの宗教的活動や宗教団体への特権付与を禁じ,同89条は宗教団体への公金支出を認めない(政教分離)。こうした日本の憲法はアメリカに類似しつつも,いっそう厳格に国家と宗教の関係を規律している。

 憲法条文の歴史的背景としては〈国家神道〉を指摘しなければならない。これは天皇家の宗教たる伊勢神道と民間の神社神道の合体したものである。国家神道の主要な現象は二つある。第1は〈国家権力の宗教的正当化〉である。すなわち明治政府は古代の神道的祭政一致を理想とし,その復古主義は1868年の神仏判然令やそれに続く廃仏毀釈運動にまでなった。また明治憲法は天皇が神々と交わり,万世一系,神聖不可侵であるといい,天皇を中心とする政治体制,つまり〈天皇制〉をつくった。その結果,国民に〈安寧秩序を妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ〉信教の自由を許しながら,政府は,神社は宗教にあらず,国民道徳であるとして神社参拝を国民に強制した。それだけでなく,日本は植民地に神社を建て参拝を強制し,朝鮮では実際,参拝拒否のために2000人のキリスト者が投獄され,牧師・長老など教会指導者50人が獄死し,200の教会が閉鎖されたという(沢正彦《南北朝鮮キリスト教史論》)。第2は靖国神社による軍国主義の鼓舞である。同神社は幕末戦死した官軍兵士らを京都で合祀したことに始まる。そして第2次世界大戦での敗戦まで戦死者を国家のために一命をささげた英霊であるとして合祀し,生と死の意味づけを国民に与えるのに重要な機能を果たした。同じ機能を持ったのが道府県の招魂社,護国神社であり,市町村の忠魂碑である。

 次に今日の問題状況を述べてみよう。1945年日本がポツダム宣言を受諾し,占領軍は同宣言の軍国主義の除去の方針に従い国家神道を解体する〈神道指令〉(1945年12月15日)を出した。こうして国家神道に属した神社はすべて国家と関係のない私的な宗教法人となり現在に至っている。だが戦後,靖国神社の国家管理,国家護持を求める動きは強く,1969年には靖国神社法案が国会に提出されるほどになった(反対が多く後に廃案)。その後同神社への天皇,首相らの公式参拝請願運動が起こり,それに合わせて首相,閣僚,国会議員らが多数集団参拝し,それは政教分離の空洞化をもたらすものとして強く批判されている。

 裁判とのかかわりでも信教の自由や政教分離に人々の関心が向けられつつある。第1に信教の自由について,線香護摩加持祈禱死亡事件(1963年最高裁判決。有罪)と牧師が犯人蔵匿罪に問われた牧会権事件(1970年神戸簡裁判決。無罪)が有名である。第2に政教分離の最も重要な先例は津地鎮祭訴訟である。そのほか殉職自衛官合祀拒否事件(原告は1審(1979),2審(1982)で勝訴)や大阪箕面忠魂碑事件(原告は1審(1982)で勝訴)など,信教の自由にかかわる約10件の重要な訴訟がある。これらの事件は根本的には靖国神社の国家管理にかかわっていて,原告らに軍国主義復活阻止と憲法の平和主義の擁護という危機的な歴史感覚が共通してみられる。すなわち政教分離の問題が平和問題としてとらえられている。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「信教の自由」の意味・わかりやすい解説

信教の自由
しんきょうのじゆう

宗教を信仰し、宗教上の行為を行う自由。宗教の自由ともいう。信教の自由は、宗教的権威から人間精神を解放することにより、近代の精神的自由の確立に大きな役割を果たした。また、信教の自由は、人間の魂の救済にかかわる自由として、精神的自由の源をなし、近代以来の人権宣言で保障されてきた。明治憲法も、信教の自由を保障していたが、同憲法のもとでは、「神社は宗教にあらず」という解釈のもとに、天皇の祖先を神として祀(まつ)る神社神道は、実質上国教として優遇され、この結果、信教の自由は制限された。また、神道の教義は、軍国主義の台頭とともに、その精神的支柱としての役割を果たすことになった。

 こうした経緯から、第二次世界大戦後、GHQ(連合国総司令部)は、国家と神道の分離を内容とする「神道指令」を発し、これを受けて、日本国憲法は、信教の自由(20条1項・2項)を定め、また、同自由を実効的に保障するために、厳格な政教分離の原則(20条1項・3項、89条)を採用した。日本国憲法が保障する信教の自由は、自己の欲する宗教を信仰し、布教・宣伝等の宗教的行為を行い、宗教団体を設立する自由、を主たる内容とする。こうした信教の自由の限界の問題は、オウム真理教事件に関連して論議されることになった。すなわち、1994~95年(平成6~7)に、宗教法人であったオウム真理教が猛毒ガスであるサリンを生成・使用し、多くの人命を殺傷(松本サリン事件、地下鉄サリン事件)したことなどのために、都知事らにより、宗教法人法81条に基づき、裁判所に対して同法人の解散請求がなされたほか、公安調査庁長官により、公安審査委員会に対して、破壊活動防止法7条所定の解散指定の請求がなされ、これらの措置が信教の自由を侵害しないか否かが論議されることになったのである。そして、前者については、最高裁が宗教法人法が定める解散制度及びそれに基づく本件解散命令は憲法20条第1項に反しない旨判示し、同法人に対して解散が命ぜられたが、後者の破防法に基づく解散指定の請求については、公安審査委員会により棄却されるに至った。

[岩間昭道]

政教分離の原則

第二次世界大戦後、裁判で激しく争われてきたのは、政教分離の原則をめぐってである。政教分離の原則とは、国家があらゆる宗教に対して原則として中立的立場に立つことを要請する原則をいう。国家の非宗教性の原則ともいう。信教の自由が保障されている国のもとでの国家と宗教の関係は一様ではなく、厳格な分離原則を採用している国(アメリカ)のほか、国教制度を採用している国(イギリス)もある。日本国憲法は、国およびその機関による宗教的活動を禁止するほか(20条3項)、宗教団体に対する公金の支出を禁止し(89条)、厳格な分離原則を定めた。もっとも、厳格な分離といっても、国家と宗教とのかかわり合いをいっさい排することは実際上不可能である以上、問題は、憲法がどの程度のかかわり合いを禁じていると解すべきか、にある。判例は、今日、こうした憲法上禁じられたかかわり合いの程度を判断する基準として、目的・効果基準を採用している。すなわち、国およびその機関の行為は、宗教とのかかわり合いが「相当とされる限度を超える」場合、つまり、その「目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような」場合には、政教分離原則に反して許されない、とする基準である。

 これまで、裁判で政教分離の原則違反が争われた事件、たとえば、(1)市の体育館の建設にあたって、市が神式の地鎮祭を主催した事件(津地鎮祭訴訟)、(2)遺族会所有の忠魂碑を市が公費で移設した事件(箕面(みのお)市忠魂碑訴訟)、(3)殉職自衛官の護国神社への合祀(ごうし)に際して、自衛隊が関与した事件(殉職自衛官合祀訴訟)において、下級裁判所の判決のなかには、目的・効果基準を厳格に適用して、違憲とした例もみられた。しかし、最高裁判所は、いずれの場合にも、同基準を緩やかに適用して、合憲と判示してきた。また、このほか、政教分離の原則違反が論議された例として、(4)1990年(平成2)に行われた大嘗祭(だいじょうさい)に対する公費の支出、(5)内閣総理大臣の靖国(やすくに)神社公式参拝、(6)靖国神社の春秋例大祭に際しての地方自治体による玉串(たまぐし)料の支出(玉串料訴訟)などがあるが、下級裁判所は目的・効果基準を適用して、(4)について、違憲の疑いを表明した例(大阪高裁)があり、また、(5)については、ほぼ一致して違憲の疑いを表明してきたのに対して、(6)については、戦没者の慰霊のための「社交的儀礼」だとして合憲とした例(高松高裁、盛岡地裁)と、違憲とした例(仙台高裁、松山地裁)に分かれていた。こうしたなかで、最高裁は1997年4月2日、目的・効果基準を適用して、愛媛県による靖国神社への玉串料等の支出は、「相当とされる限度を超えるもの」で違憲とするという画期的判断を示した。この判決は、政治と靖国神社との結びつきが除々に強められてきた動向に対して、一定の歯止めをかけたものだといえよう。

[岩間昭道]

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百科事典マイペディア 「信教の自由」の意味・わかりやすい解説

信教の自由【しんきょうのじゆう】

人がどのような宗教を信仰し,宗教団体に加わり,信仰を発表し,宗教的行為を行っても国家権力によって禁止または制限されないこと。無宗教の自由を含む。宗教を理由とする法的差別待遇の否認をも意味する。政教分離とともに,近代民主国家の基本原則の一つである。日本でも,現行憲法は明文でこれを保障している(憲法20条)。→宗教法
→関連項目国教宗教教育宗教法人

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知恵蔵 「信教の自由」の解説

信教の自由

日本国憲法20条には「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」とある。信教の自由は具体的には、(1)内心における信仰の自由、(2)宗教活動の自由、(3)宗教結社の自由の3つを意味する。つまり、たとえ反社会的な内容であっても、個々人の心の中で信仰し、行動として表さない限りにおいては何ら制約を受けない。そして、布教活動を始めとする宗教活動や宗教団体を結成することに対しても自由が与えられている。ただし、宗教活動が反社会的であったり犯罪行為を伴う場合は、その自由も制約を受けざるを得ないことはいうまでもない。また、宗教団体の信教の自由と個人のそれとを同等に論じることはできない。個人の自由を基本とする現行の憲法下では、宗教団体を構成する個人の信教の自由がまず優先されると考えられる。

(岩井洋 関西国際大学教授 / 2007年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「信教の自由」の意味・わかりやすい解説

信教の自由
しんきょうのじゆう
freedom of religion

自己の欲する信仰をもち,またはもたない自由のこと。内面における信仰にとどまらず,それが外面に流露した,宗教活動,宣伝,伝道,宗教結社の結成もこの自由に含まれる。また,信仰を告白させられたり推断されたりしない自由と,さらにその信仰のゆえに差別されない保障も含まれる。この信教の自由はヨーロッパ中世末期の宗教戦争の渦中で生れ,当初はキリスト教内部で,カトリック,プロテスタントのいずれを選ぶかの自由と解されていたが,のちに,キリスト教以外の宗教を信ずることもこの自由に含まれるようになり,今日では,無宗教の自由もこれに含まれると解されている。日本国憲法は第 20条を中心に,この自由を認めており,また国家が特定の宗派を国教として保護することを禁じている。

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世界大百科事典(旧版)内の信教の自由の言及

【寛容】より

…だが,この寛容が宗派的対立の問題を原理的に解決したものでなかったことは,そこに示されている強い政治性からも明らかであり,したがってまた,ブルボン王朝の絶対主義的確立とともに寛容政策はいとも簡単に廃棄されてしまうことにもなった。 近代的な意味での信教の自由を実現させていくことになった寛容の主張は,〈内なる光〉による神と各個人との直接的な関係を強調するピューリタニズム系の諸宗派から生み出されたものである。そこでは神の啓示は各個人の良心に直接示されるものであり,したがって,人間の相互関係においても,また世俗的権力との関係においても,個々人の良心に外から介入し強制することは許されない,とされるのである。…

【国家神道】より

…それぞれの神社の信仰や祭儀の内容には伝統に由来する特質がなお保持されてはいたが,国家による統制と画一化はいちじるしく強められ,地域の小祠も一村一社の村氏神をつくりあげる方向で統合されて,統合されることのない民俗信仰的な諸次元のものは,淫祠や迷信として弾圧された。大日本帝国憲法は制限つきながら信教の自由を規定していたが,それはこうした神社崇拝の受容を前提として承認されるものであった。神社崇拝が実際には宗教としての性格をもっていることは,政府当局者も認めていたが,しかし法的にはそれは宗教でないとすることで,憲法における信教の自由の規定や近代国家における政教分離の原則と矛盾しないという強弁がなされて,それが政府の公式見解とされた。…

【宗教改革】より

…ナショナリズムと結びつく聖書国語訳の普及や,〈万人祭司主義〉に対応する聖職者の身分的特権の否認,修道院制の廃止と教会財産の接収,俗人信徒の職業労働の宗教的評価,〈良心〉の自律性に示される個人主義などは,それぞれの意味で,生活諸分野の近代化の推進力となった。しかし,〈政教分離〉ないし〈信教の自由〉の実現という点では,ルター派,カルバン派を問わず,統治権力や領域主義と結びつき体制化した正統プロテスタント教会は,さしあたりその障害となり,宗教戦争や〈魔女狩り〉の激発に力を貸した。この面でのキリスト教の近代化や,新しい科学的世界観の成立に対しては,ルネサンス文化の潮流と並んで,正統プロテスタント教会から異端視された再洗礼派などの,より個人主義的な諸セクトのほうが,長期的にみて重要な意義をもっていたといえる。…

【政教分離】より

…〈人および市民の権利宣言〉(1789)によれば,国家は〈人の消滅することのない自然権を保全する〉という世俗的目的のための〈政治的団結〉であり,今や国家は神の喜捨や真理への奉仕にではなく,自由で平等な自律的個人の意思のうえに基礎づけられた。ここで予定されている個人は,信教の自由を有し,宗派にかかわりなく平等であることを保障されている,宗教から解放された世俗的存在である。こうして,宗教が社会に追放され国家から切断されることによって,政教分離は原理的に確立されたのである。…

【津地鎮祭訴訟】より

…すなわち,その多数意見によれば,〈政教分離〉の対象となる国家と宗教の間には社会的文化的条件からある程度のかかわりあいを認めざるをえない。〈信教の自由〉の確保という根本目的との関係でそのかかわりあいが許されない場合と限度をみつけることが問題である。そこで許されない宗教的活動とはその行為の目的が宗教的意義を持ち,その効果が宗教への援助,助長,促進,圧迫等になる行為である。…

※「信教の自由」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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