国津神 (くにつかみ)
地祇(くにつかみ)/(ちぎ)とも書く。天津神(あまつかみ)に対して称される。《古事記》《日本書紀》などの日本神話で,高天原の神々に対してこの地上に出現した神々,ならびに天津神の後裔で,地上に土着して活躍する神々,また,国土の各地方の有力な神々をいう。《令義解(りようのぎげ)》では,大神(おおみわ),大倭(おおやまと),葛城鴨(かつらぎかも),出雲大汝(いずもおおなむじ)神を国津神として挙げている。国津神の観念は,天津神と同様に複雑で,一概には断定しがたく,幕末維新期の国学者の矢野玄道(やのはるみち)は,(1)天神に対するもの,(2)天神に先立って国土のある地方をつかさどるもの,(3)産土(うぶすな)神を指すもの,(4)海中の神を指すもの,の4種に分けている。
→天津神
執筆者:大井 鋼悦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
Sponserd by 
国津神 くにつかみ
古代伝承上の神。
記・紀によれば天津神に対する称。在地の神で,山野,河川などにすむ。国つ神,地祇ともかき,地祇は「ちぎ」ともよむ。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内の国津神の言及
【山人】より
… 日本民俗学の樹立者である[柳田国男]は,山人の研究を強力に進めた第一人者であり,〈山の人生〉など主要な論文は《定本柳田国男集》第4巻に収められている。柳田は山人が実在したことを仮定して,天津神(あまつかみ)を奉ずる渡来民族(水田稲作農耕民)によって山に追われた先住民が山人であるとし,山人は国津神(くにつかみ)を奉じた非稲作民であったとしている。そして渡来民族が優れていたために,先住民はしだいに集団としての自律性を失って征服され,服従していくが,その過程を六つに想定してはいるものの,大きくは山人の子孫は里にくだって里人に混交したものと,山に残ったものとに分けている。…
※「国津神」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 