出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
推古朝に編纂されたといわれる書。「日本書紀」推古28年(620)条は,聖徳太子と蘇我馬子(うまこ)が「天皇記及国記臣連伴造国造百八十部并公民等本記」を録したとする。皇極紀4年(645)6月条によれば,乙巳(いっし)の変(大化の改新)の際,蘇我蝦夷(えみし)がこれらを焼いたが,船史恵尺(ふねのふひとえさか)が焼かれる「国記」をとりだし,中大兄(なかのおおえ)皇子に献上したという。内容については不明。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…河内国丹比郡の人。645年(大化1)6月,中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を討ち,さらにその父蝦夷(えみし)に迫ったとき,蝦夷は火を放ち〈天皇記〉や〈国記〉,珍宝を焼いたが,恵尺はすばやく〈国記〉をとり出し中大兄に献上した。船氏は王辰爾を祖とする渡来系氏族で,辰爾は欽明朝に船の賦(みつぎ)を数え録する船長(ふねのつかさ)になったため,船史姓を賜ったという。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」