国風文化(読み)こくふうぶんか

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「国風文化」の解説

国風文化
こくふうぶんか

平安時代中期以降の日本文化。7世紀から9世紀にかけて,日本は唐を中心とする大陸文化の摂取に努めたが,10世紀頃から 12世紀にかけては日本独特の文化を創造するようになる。平安時代前期までの文化はあらゆる面で唐の影響を強く受けて発達したので唐風文化と呼ばれ,これに対し中期から後期にかけては著しく日本化されたものとなったので国風文化と呼ばれる。また,この時代の文化が藤原氏の摂関政治を中心とする貴族社会を背景に展開されたので,藤原文化とも呼ばれている。国風文化の形成は,遣唐使の停止がその契機となった。その基盤は,広大な荘園を背景として営まれた藤原摂関家を中心とする貴族社会の栄華に負うところが大きい。国風文化の展開に大きな役割を果したのは,かな文字の発達と浄土思想の普及である。唐風文化の衰退と国風文化の発展とをよく示すものは,漢文学の退潮と国文学の勃興であり,かな文字の発明によって,国語で表現する和歌,物語,日記,随筆などの国文学は未曾有の盛況を呈した。宗教では浄土教が著しく普及した。浄土教の信仰は,当時盛んになった末法思想と相まって,貴族の間に盛んになっていった。そしてその流行は,この時代の美術を浄土美術として特色づけた。すなわち建築においては阿弥陀堂が,彫刻においては阿弥陀像が,絵画においては阿弥陀来迎図が流行し,住宅建築として寝殿造が現れ,絵画面ではやまと絵が勃興した。 (→藤原時代 )

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精選版 日本国語大辞典「国風文化」の解説

こくふう‐ぶんか ‥ブンクヮ【国風文化】

〘名〙 平安中期から後期にかけてみられた、主に公家を中心とする文化活動の総称飛鳥・奈良・平安初期にかけては中国大陸の文化を熱心に取り入れていわゆる唐風文化が発達したが、平安中期以後は、摂関政治と荘園制のもとで公家の生活が華やかに展開され、他方で末法思想が深く人々の心をとらえ、また遣唐使の中止によって大陸との接触が減るなどして既に摂取した文物を消化する時間を得たこともあって、先の唐風文化に比べて外国の影響が目立たない独創的な文化様式を創出した。たとえば宮廷女房を中心とする日記、随筆、和歌などの仮名文学が発達し、あるいは鎮護国家的な前代の宗教にかわって末法思想にもとづく浄土教の広範な普及が見られた。また、絵画、建築についても、これらと深い関連をもって、文学の世界を視覚化する絵巻や、浄土を現世に実現する寺院建築などにこの時代特有の作品を生んだのである。

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旺文社日本史事典 三訂版「国風文化」の解説

国風文化
こくふうぶんか

平安中期以後発展した日本風文化
それまでの唐風文化に対していい,藤原文化ともいう。894年遣唐使の廃止により唐文化の影響が弱まったため,それまで摂取した大陸文化を基礎に,安定した貴族生活を背景に成立。仮名の発明により,国文学が発達し,女流文学者が出現物語文学や和歌が発達した。また浄土教の流行に伴って浄土教芸術が発達し,貴族の住宅建築では寝殿造が流行した。三蹟などの和風書道が生まれ,衣冠束帯などの衣裳に至るまで,貴族生活の全般にわたり日本風の文化が創造された。

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百科事典マイペディア「国風文化」の解説

国風文化【こくふうぶんか】

唐風文化に対する日本風文化をいう。平安中期以降に唐の衰滅遣唐使の中止などによって唐文化の影響が弱まり,仮名文学(女流文学)の発達,浄土教の流行による浄土教美術・建築の発展などを特徴とする。摂関(せっかん)家をはじめとした豊麗・優雅な貴族文化で,この時代を藤原時代,文化を藤原文化ともいう。

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