高知県南西部にある市。1954年(昭和29)幡多(はた)郡清水、下ノ加江(しものかえ)、三崎、下川口の4町が合併して市制施行。市域は今ノ山を主峰とする渭南(いなん)山地の東・南斜面と足摺(あしずり)半島からなる。東部と南部は太平洋に臨むが、平坦(へいたん)地に乏しく古来漁業への依存度が大きい。半島西側の鼻岬(はなさき)七浦や、捕鯨・ブリ大敷(おおしき)網で知られた以布利(いぶり)・窪津(くぼつ)のほか、下ノ加江、三崎、下川口などの漁村があったが、大正期ごろから半島基部の溺(おぼ)れ谷に位置する清水港が沖合いカツオ・マグロの漁業基地として急速に発展した。現在も近海カツオを中心とした釣り漁業が盛んで、かつお節・メジカ節(そうだ節)加工業も多い。海岸段丘から背後の山麓(さんろく)にかけてはミカンなどの柑橘(かんきつ)類の栽培が行われている。海岸線のほとんどは足摺宇和海国立公園域に属し、なかでも白亜の灯台とツバキのトンネルで知られる足摺岬、奇勝地竜串(たつくし)・見残(みのこし)は公園の中心。竜串には海域公園地区があり、足摺海洋館、足摺海底館(海中展望塔)などの施設がつくられている。また、松尾のアコウ自生地、唐船(とうせん)島の隆起海岸、千尋岬(ちひろみさき)の化石漣痕(れんこん)は国指定天然記念物。足摺岬の岬端にある金剛福寺は四国八十八か所第38番の札所。明治初期の網元の屋敷である吉福家住宅は国指定重要文化財。国道321号が通じる。清水港の西あしずり港からは甲浦(かんのうら)港(東洋町)経由大阪南港へのフェリーが就航していたが、2005年(平成17)廃止された。面積266.34平方キロメートル、人口1万2388(2020)。
[正木久仁]
『『土佐清水市史』2冊(1980・土佐清水市)』
高知県南西端の市。1954年市制。人口1万6029(2010)。北にそびえる今ノ山(868m)を主峰とする渭南(いなん)山地とその支脈が市域の大部分を占め,南東に延びる足摺半島が東の室戸岬と相対して土佐湾を抱く。ところどころに海岸段丘が発達し,海食崖をなすところも多い。平地は少なく漁業が盛んで,足摺半島東岸の窪津は江戸時代から明治期まで捕鯨基地であった。以布利(いぶり)も一時期捕鯨基地で,またブリの大敷網漁で知られた。半島西岸には中浜(なかのはま),伊佐など鼻前七浦とよばれた漁業集落があり,カツオ漁が行われた。足摺沖は紀州漁民の出漁も盛んで,鰹節の製法も紀州から伝えられ,江戸中期には土佐の代表的物産となっている。半島西岸基部にある中心市街の清水は溺れ谷の良港で,明治末期には捕鯨基地となり,大正期からカツオ,マグロ,サバなどの漁業基地として栄えた。現在も釣漁業を中心に鰹節,メジカ節(宗田(そうだ)節)などの加工業が盛ん。農業はふるわないが,サツマイモやミカン栽培のほか,近年は紅茶やパイナップルの産がある。沿岸部一帯は足摺宇和海国立公園に含まれ,竜串(たつくし),見残し一帯の海は海中公園に指定されている。足摺岬にある金剛福寺は空海の開創と伝え,四国八十八ヵ所の第38番札所。補陀落渡海(ふだらくとかい)の聖地としても信仰された。国道321号線が海岸沿いを走り,足摺岬へは足摺スカイラインが通じる(1995年無料開放)。なお,ジョン万次郎(中浜万次郎)は中浜の出身で,同地に記念碑が建つ。
執筆者:正木 久仁
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