金剛福寺(読み)こんごうふくじ

百科事典マイペディアの解説

金剛福寺【こんごうふくじ】

高知県土佐(とさ)市の足摺(あしずり)岬にある真言宗豊山(ぶさん)派の寺。本尊は三面千手観音。823年空海開創と伝え,四国八十八ヵ所38番札所。当地は古くから〈補陀落渡海(ふだらくとかい)〉の場と理解され,嵯峨(さが)天皇筆と伝える〈補陀落東門〉と刻した額がある。平安期摂関(せっかん)家藤原氏の外護を受けた。鎌倉期以降播多(はた)荘を領した一条家と深く結び,1484年一条教房(のりふさ)が母とともに当寺に移り御所としている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金剛福寺
こんごうふくじ

高知県土佐清水(とさしみず)市足摺(あしずり)岬にある真言(しんごん)宗豊山(ぶざん)派の寺。蹉山補陀落院(さださんふだらくいん)と号する。本尊は三面千手観音(せんじゅかんのん)。四国八十八か所霊場38番札所。1257年(正嘉1)の文書によれば、823年(弘仁14)に弘法(こうぼう)大師空海が嵯峨(さが)天皇の勅願(ちょくがん)を得て開創したという。足摺岬の先端にあることから、南方補陀洛山の観音浄土を望む霊場として、古代・中世の修験(しゅげん)者のかっこうの行場とされた。平安・鎌倉時代には土佐を知行した藤原氏との関係を深め、とくに鎌倉初期以降、幡多荘(はたのしょう)が成立するとその領主九条家(のち一条家)が当寺を保護した。中世にはたびたび炎上、そのつど再建された。鎌倉末期から室町期にかけ熊野信仰が盛んになると、当寺もその守護神を熊野権現とするところから、土佐地域の修験の根拠地とされた。戦国末期には長宗我部(ちょうそがべ)氏、江戸期には山内氏が庇護(ひご)に努めた。和歌山県那智(なち)の補陀洛山寺(ふだらくさんじ)に次いで、補陀落渡海の伝承地としてもよく知られている。寺宝には南北朝期・室町期の彫刻、絵画が多い。[水谷 類]

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世界大百科事典内の金剛福寺の言及

【足摺岬】より

…植生はトベラ,ハマヒサカキ,ヤブツバキなどの常緑広葉樹のほか,リュビンタイやクワズイモなどの草本,ビロウやアコウなどの亜熱帯植物の自生もみられる。また岬には灯台,展望台,四国八十八ヵ所38番札所で,822年(弘仁13)空海の建立と伝えられる金剛福寺があって,竜串見残しなどとあわせて高知県の重要な観光拠点の一つを形成している。付近の民家はツバキやマキからなる生垣によって囲まれ,段畑とともに独特の景観を呈していた。…

【土佐清水[市]】より

…沿岸部一帯は足摺宇和海国立公園に含まれ,竜串(たつくし),見残し一帯の海は海中公園に指定されている。足摺岬にある金剛福寺は空海の開創と伝え,四国八十八ヵ所の第38番札所。補陀落渡海(ふだらくとかい)の聖地としても信仰された。…

※「金剛福寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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