近世の農村に成立した町。在郷(ざいごう)町、在方(ざいかた)町ともいう。法制的には村とされているものが多い。在町の成立については、研究者の間に、戦国時代から近世にかけて成立したとするものと、近世中期以降に成立したとするものとの、二つの意見がある。概していえば、近世初期に成立したとする研究者は畿内(きない)の在町を対象とし、中期以降に成立したとする研究者は関東のそれを対象としている。
近世初期に畿内に成立した在町は、中世以来の城下町、市場町、門前町、寺内町などの系譜をもつものが多い。在町としては近隣の村々と交易して、市場町の性格を強くもち、農村の需要に応ずる鍛冶(かじ)屋、紺(こう)屋なども存在する。また村々の生産物や労働力を受け入れて、酒造、木綿加工などを営み、その特産地として成長するものもあった。さらに遠隔地との商業も行い、独自の成長を遂げた。町民はだいたい、特権的な上層商工業者、中小商工業者、日傭(ひよう)的町民の3段階に分かれているが、商工業を営むものは身分的に本百姓であるばかりでなく、実際に農業も営んでおり、農民としての一面ももっている。このような在町に対し封建領主は、市(いち)を立てることを許し、あるいは代官陣屋を設置し、年貢米の払下げを行い、宿継(しゅくつぎ)運輸を行わせなどして、その支配組織に組み込んだ。こうした従来の在郷町とは別に、同じような機能をもつ町を新しくつくらせることもあった。江戸、大坂、京都の三都を中心とした全国市場が形成されてくると、畿内の在町の対遠隔地商業は、大坂・京都がこれにかわり、手工業も大坂・京都のそれを補うにすぎないものとなった。地域の中心集落としての機能も、大坂・京都と結び付くことで存続し、対立するものは淘汰(とうた)されていった。また農村に展開した木綿加工などの工業は、在町のそれを衰退に追い込んだ。こうした状況のなかで町の商工業者は地主に転ずる者が多くなり、畿内の在町の発展は17世紀末を頂点として停滞し、衰退していった。
近世中期以降関東に成立した在町は、その系譜も畿内の在町に似ており、地域の中心集落であることもかわりはなかったが、農村の商品生産を背景に、その産物を三都に送り出す機能を強くもっていた。それが江戸地回り経済の発展とともに江戸との結び付きを濃くし、特産物を江戸に送る集荷市場となっていった。在町の商人も江戸の問屋に隷属して、その出先機関化するものがあった。関東の在町はこうした機能を強めていったので、周辺の農村との対立を深めた。
[伊藤好一]
…日本近世では法的に都市・町と農村の区別が存在したが,農村地域にありながら実質は町として活動しているものをいう。郷町,町分,町場,在町,町村などの名称をもつ場所をさす。ただし法的に町として認められている場所でも,農商混住の在方の町では在郷町とよぶことがある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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