現代国家は、いずれの国においても、国内を多数の地方自治体に区分し、その地方自治体に一定範囲の自治権を認め、公共事務を処理させている。この地方自治体の国内統治における地位、権能、機構、中央政府との関係などを定めた国の法律制度を、中央政府の制度と区別して、地方制度とよんでいる。また、地方自治体の自治の仕組みを定めたものでもあることから、地方自治制度、あるいは単に自治制とよぶこともある。
[高木鉦作・辻山幸宣]
一般的にいって近代国家における地方制度は、歴史的には、絶対君主が封建貴族、教会、都市などの中世的な諸勢力の特権を剥奪(はくだつ)し、それらの諸勢力を統一国家の一元的な支配に服する部分団体として再編成する過程で構成されたものである。その後、この部分団体ないし一定地域の共同社会における自治の機構やその自治権を、議会制の統治体制における重要な構成部分として制度化したのが、近代的な地方制度といわれるものである。こうした制度はほぼ19世紀に確立されたが、制度の性格や内容は、それぞれの国における統一国家形成の過程や議会制の発展の相違を反映して一様ではなく、各国の間には大きな差異がある。
しかし、大別すると、次の二つの型に類型化することができる。その一つは、イギリスを母国としてアメリカ合衆国などに波及したアングロ・サクソン型で、近代の国民国家が形成される以前から存在していた地方共同社会の自治が、国民国家の形成過程においてもその自律性を保持し、その自治が国の主権によって制約されたという性格のものである。もう一つは、フランスを母国としてドイツ、イタリアなどに波及した大陸型で、国民国家の形成過程で中世的な特権勢力が解体され、新しい集権国家が地方支配の機構として地方自治体を創設したという性格のものである。
[高木鉦作・辻山幸宣]
地方制度には大きく分けて分権型と集権型がある。そして、分権型地方制度と集権型地方制度の間にみられる相違として、次の諸点が指摘されている。第一は、地方自治体に対する権限賦与の形態である。分権型の国では、必要に応じて国会(アメリカ合衆国では州議会)が制定する法律によって、地方自治体が個別的に権限を取得している(限定列挙)。集権型の国では、地方自治体に対して包括的に権限を与える形をとっている(包括授権)。しかし、権限を行使するとき、分権型の国では、その権限の範囲内で地方自治体が自主的に運営できるのに対し、集権型の国では、個別の事務権限の行使について中央政府の許可などを必要とする場合が多い。したがって、分権型は、自治権の範囲が狭いようにみえるが、地方自治体の自主性は強く、集権型ではその反対であるといえる。それと関連して、相違の第二は、地方自治体に対する中央政府の監督ないし関与の方式である。分権型の国では、地方自治体が法律で定められた権限を逸脱したり、違法な行為を行ったときには、裁判によって是正している。集権型の国では、中央各省が許認可などの行政的な手段によって地方自治体の行為を監督する場合が多く、司法的な統制は二次的なものとされている。こうした行政的な監督が強くなってくると、地方自治体は中央政府の下部機関に近いものになってしまう。
第三は、地方自治体の政府機構の違いである。分権型のうち、イギリスでは議会が同時に執行機関である自治体と、執行機関を議会から独立させ、市長等を公選する自治体とがある。アメリカでは、議会と執行機関が分離しているが、もともとは議会が中心の機関として発展してきている。分権型の国では、どちらかといえば地方自治体の議会が中心となってきているのに対し、集権型の国では、議会に対して執行機関が優位な地位に置かれている。むしろ、中央政府はこの執行機関の事務処理に対する監督を通じて、地方自治体を支配する傾向が強い。
[高木鉦作・辻山幸宣]
19世紀につくられた近代的な地方自治体の制度に共通して指摘できることは、有産階級だけによる自治の制度で、地方自治体が処理していた事務はわずかであり、制度そのものも不備な面が少なくなかった。したがって、その後における工業化の進行や経済成長に伴う社会・経済の変動に対処していくため、また二度にわたる世界大戦の遂行や戦後の復興・再建なども影響して、各国はそれぞれ19世紀に形成された地方制度の改革や再編成を行い、また各種の対応策を講じてきている。
第二次世界大戦後の先進工業諸国に共通した主要な動きの第一は、人口や産業の都市集中、地域の経済開発に対処するため、小規模な地方自治体の統合や広域な単位への再編成が進んだことである。たとえば、スウェーデンの1952年と1974年の二度にわたる小規模なコミューン(自治体)の大合併、イギリスの1965年の大ロンドン県の創設や1972年のロンドン以外の六大都市圏域における地方自治体の広域単位への再編成(ともにサッチャー政権のもとで行政の簡素・合理化と経費節減を理由にした改革で1986年に廃止)、フランスの1964年の州の設置や1968年のパリ首都圏地域の再編成などである。
第二は、地方自治体間の財政力の不均衡是正や福祉の充実、公共施設の整備など、国の諸施策を推進するため、地方自治体に対する国の財政補助ないし関与が増大したことである。
第三は、中央政府と地方自治体の事務の増大に伴い、機能的に相互に関連し複雑になってきたことに対して、中央政府と地方自治体の責任区分を明確にしたり、国の政策の立案や実施にあたって地方自治体を参加させる方式やその制度化が要請されてきたことである。
第四は、地方自治体の活動が住民の生活や利害と直接かかわる面が増大したのに対応して、情報の公開や住民参加の推進、ボランティア活動が重視されてきたことである。
以上のように、施策の内容や財政面で中央政府の地方自治体に対する関与や統制が強まり、集権化が進行している。しかし、多様化した住民の関心や利害に対処し、住民参加を進めていくためには、地方自治体の自治を充実させることが重要で、集権化した行財政の構造を分権化させることが重要な課題になっている。それだけに、フランスのミッテラン政権が1982年に地方分権法を制定し、1800年にナポレオンによって制定され中央集権的な制度の中枢となっていた中央政府任命の県知事の職を廃止し、議会議長に執行機関を移し、地方自治体に対する国の後見的な監督を原則として廃止し、事後統制中心の方式をとることにしたうえ、さらに地方財政、地方公務員、地方公選職などの諸制度も分権的なものに改めたことは注目すべきことである。
[高木鉦作・辻山幸宣]
日本の近代的な地方制度は、憲法制定・国会開設による立憲政治の発足に備えて制定された1886年(明治19)の地方官官制、1888年の市制町村制、1890年の府県制、郡制によって確立された。この制度の基本的な仕組みは、府県という国の行政区画ごとに知事以下の国の官吏が国の行政を行うとともに、府県・郡・市町村の地方自治体を設けて、国の事務の一部と地方の仕事を地方の人々の自治によって処理させ、その処理を中央政府、知事が指導し監督するもので、前述の集権型に属する。したがって、地方自治体の処理する事務の多くは国からの委任事務(機関委任事務)で、自治に参加できたのも有産者階級だけに限定された。この有産者層が名誉職として無給で公務に参加し、地方の人々は地方自治体の経費を負担するというのが自治の仕組みで、その地方自治体の事務処理を国の官吏が監督する「官のもとの自治」という性格のものであった。また、7万余あった町村の合併を断行し、合併で生まれた1万5000余の新市町村に対して、1889年4月から市制町村制を施行した。府県が、藩を廃止し、旧藩を統合してできた新しい区画であると同じく、市町村も、それまでの町村を合併して新しく設けられたものであった。また、合併で姿を消した旧村が、村落・町内の組織として、新市町村の仕事の代行や補完を行い、新市町村と住民とを結び付ける役割を果たし、市町村の自治を支えてきた。明治中期に制度化された地方制度は、日清(にっしん)戦争後の1899年(明治32)に府県制、郡制が、日露戦争後の1911年に市制、町村制が全文改正され、それに対応して地方官官制も全文改正されていちおう固定した。さらに、第一次世界大戦後の1921年(大正10)に郡制が廃止され、府県会議員や市町村会議員の選挙権資格の納税要件も緩和された。1926年には男子普通選挙制が実現し、それと並んで1929年(昭和4)の改正までに、中央政府の監督緩和、地方議会の権限拡大が行われた。しかし明治にできた制度の基本的性格は、第二次世界大戦まで変わらなかった。しかも、社会・経済の変動に伴って地方自治体の処理する仕事が増大していくのに対応して、国の地方自治体に対する財政援助が重要な問題になり、1940年の税制改正で地方分与税という一般的な地方財政調整制度が創設された。この制度が第二次世界大戦後も形を変えて存続し、現在は地方交付税制度として地方財政を調整し統制する仕組みになっている。さらに、1943年の地方制度改正で、地方自治体の執行機関を強化し、それに対する監督を通じて国策を国民に徹底させる仕組みにし、新しく東京都制を制定した。
第二次世界大戦後の占領中に地方制度の大改革が行われ、明治以降の地方制度は根本的に変わった。その変化は、憲法の変わったことと対応して、地域の自治に参加することが住民の権利となり、それまでのような義務ではなくなった。また、大日本帝国憲法には規定されていなかった地方自治が、日本国憲法の第8章に規定され、地方自治が憲法体制を構成する重要な要素となった。こうした変化と関連して、それまでの東京都制、府県制、市制、町村制と地方官官制が廃止され、地方自治法が制定され、1947年(昭和22)5月3日に、憲法と同時に施行された。この地方自治法により、現行の地方制度の基本的な仕組みが定められた。これにより、20歳以上の住民は地方自治体の選挙権を有するほか、条例の制定・改廃や事務の監査を請求し、地方自治体の公職者をリコールできる権利ももつことになった。また、知事・市町村長の直接公選制が実現し、地方自治体の議会の権限も拡大された。さらに、都道府県と市町村は普通地方公共団体として同格になり、地方自治体はその権限を、住民の代表機関によって自主的に執行し、住民に対して直接責任をとる仕組みになった。その点で、中央政府と地方自治体とは対等の政府間関係となり、それ以前のような上下の監督関係ではなくなり、内務大臣、知事が地方自治体に対し監督官庁として行使できた一般的な監督の権限も廃止され、1947年末に内務省も廃止、解体された。こうした地方自治体の自立性の強化と関連し、警察、教育、消防の地方分権も実現した。このように、組織体の面で、地方自治体は独立した主体として中央政府と対等の関係に変わったが、地方自治体の処理する事務の権限関係では機関委任事務制度に代表される明治以来の仕組みが改革されないまま残った。そのため、地方自治体は独立した主体であるが、事務処理の面では中央政府の下位団体的な地位に置かれ、事務の処理、運営を通じて中央各省が地方自治体に関与し統制していく集権的な行財政の仕組みが長く続いてきた。
第二次世界大戦後の地方制度は、占領終了後に行われた1952年(昭和27)の東京都特別区の区長公選制の廃止(1974年に復活)、1953年から3年間にわたって強行された町村合併、1954年の市町村自治体警察の廃止や地方税制度の改革、1956年の教育委員の公選制廃止、地方自治法の改正などを経て、その基本的な仕組みが固定した。
それ以後は、その制度のもとで、地方自治体が本格的に仕事を行った運用の時期で、地方自治体は高度成長政策の推進を支えるとともに、それから生じた諸事態に対処するための諸施策を実施してきた。その動きが、戦後の地方制度の基本的性格の二側面、知事公選制と公選首長主導の地方自治体運営を定着化させると同時に、権限と財源を中央に集中した行財政の集権的な仕組みも強固な形で定着させた。しかし、高度成長から低成長に移行した今日、中央集権的な仕組みのさまざまな弊害が指摘され、分権型地方制度への転換が大きな課題になっている。その背景には、高齢社会への対応など地方自治体によって処理されることが効果的な政策分野が増大していること、ボランティア、市民事業など住民が公共サービスの提供主体として大きな役割を果たすようになってきたことがあげられる。1999年(平成11)、政府は地方分権に関する法律改正(地方分権一括法)を行い、2000年4月から分権型システムに移行した。これにより、機関委任事務を国の統制のもとに処理してきた明治以来の仕組みが廃止され、地方自治体の自己決定を原則として地方自治が行われることとなった。2009年に民主党を中心とする政権が誕生、地域のことは地域の住民が決める「地域主権」を掲げて、内閣府内に地域主権戦略会議を設置した。
[高木鉦作・辻山幸宣]
2015年(平成27)6月に成立した「公職選挙法等の一部を改正する法律」(平成27年法律第43号)により、公職の選挙の選挙権を有する者の年齢について、満20年以上から満18年以上に改められた。改正法の施行は2016年6月19日。
[編集部]
『松本英昭著『新地方自治制度詳解』(2000・ぎょうせい)』▽『今村都南雄編著『現代日本の地方自治』(2006・敬文堂)』▽『西尾勝著『地方分権改革』(2007・東京大学出版会)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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