日本大百科全書(ニッポニカ)「堀川波鼓」の解説
堀川波鼓
ほりかわなみのつづみ
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。世話物。三段。近松門左衛門作。1711年(正徳1)正月以前に大坂・竹本座で初演。当時、鳥取藩士大蔵彦八郎が、妻たねと姦通(かんつう)した宮井伝右衛門を京の堀川で討った妻敵討(めがたきうち)の事件を脚色。『大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)』『鑓(やり)の権三重帷子(ごんざかさねかたびら)』と並ぶ近松三大姦通物の一つ。因幡(いなば)藩士小倉彦九郎の妻お種は、夫が江戸詰で留守中、同藩の磯部床右衛門(いそべゆかえもん)から恋を迫られたのを、養子文六の鼓の師匠宮地源右衛門に知られ、口止めしようとして、好きな酒の酔いも手伝い、思わず関係を結ぶ。不義の噂(うわさ)は床右衛門から広まり、帰国した彦九郎はやむなく妻を討とうとするが、すでにお種は自刃し、潔く夫にとどめを刺される。彦九郎は悲しみをこらえ、お種の妹お藤(ふじ)、文六らとともに妻敵討に出立、祇園会(ぎおんえ)の6月7日、京・堀川で宮地を討つ。封建社会の参勤交代が下級武士の家庭にもたらす悲劇で、お種の性格描写に近松らしい特色がある。初演後は絶えていたが、近代以降、作品の再評価に伴い、歌舞伎(かぶき)での上演も多くなり、新脚色や映画化もされるようになった。
[松井俊諭]
『森修・鳥越文蔵校注『日本古典文学全集43 近松門左衛門集1』(1972・小学館)』