塙直之(読み)ばんなおゆき

改訂新版 世界大百科事典 「塙直之」の意味・わかりやすい解説

塙直之 (ばんなおゆき)
生没年:1567-1615(永禄10-元和1)

織豊期の武士。遠州横須賀の人で団右衛門と称した。はじめ加藤嘉明仕え,たびたびの軍功により1000石取,鉄砲大将となった。1600年(慶長5)関ヶ原の戦で嘉明の命令に背いたため知行を召し放たれ,他家への奉公をも禁じられた(奉公構(かまい))が,力量を認められ,直ちに小早川秀秋に抱えられた。02年,秀秋の死後,再び牢人となり,一時福島正則らに仕えるが,やがて僧となり妙心寺大竜和尚の下にいた。号を鉄牛と称し,洛中洛外で托鉢をしたという。14年大坂冬の陣に際し豊臣方に加わり,夏の陣で浅野長晟(ながあきら)の軍と和泉樫井で戦い,敗死。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「塙直之」の意味・わかりやすい解説

塙直之
ばんなおゆき
(1567―1615)

安土(あづち)桃山時代の武将。直次、尚之ともいう。通称団(弾)右衛門(だんえもん)。加藤嘉明(よしあき)の家臣で物頭(ものがしら)として鉄砲組を預かったという。文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役(1592~98)には水軍として参加し、敵の番船を捕獲するなどの活躍をした。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いののち主家を去り、小早川秀秋(こばやかわひであき)、松平忠吉(ただよし)、福島正則(まさのり)に仕えたが、嘉明の干渉が強く成就せず、ついに追及を避けるため京都妙心寺に入寺し鉄牛(てつぎゅう)と称した。14年の大坂冬の陣に入城して大野治長(はるなが)に属し、翌年夏の陣には、4月29日浅野長晟(ながあきら)の軍勢と和泉(いずみ)樫井(かしい)(大阪府泉佐野市)で戦い、戦死した。墓は同地の小字本山(もとやま)にある。

[佐々悦久]

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朝日日本歴史人物事典 「塙直之」の解説

塙直之

没年:元和1(1615)
生年:永禄10(1567)
安土桃山時代の武将。初名は長八,団右衛門と称する。尾張葉栗の出身。はじめ織田信長に仕え,次いで豊臣秀吉の武将加藤嘉明に召し抱えられて鉄砲大将となり知行1000石を得た。文禄の役でも軍功をあげたが,関ケ原の戦ののち軍令違反問題で嘉明と争い,加藤家を去って小早川秀秋,松平忠吉,福島正則に歴仕し,のち出家して京都妙心寺に入り法名を鉄牛と号した。慶長19(1614)年の大坂の陣に際しては牢人募集に応じて入城し,大野治房の隊に属した。冬の陣では池田忠雄の陣を夜襲するなど活躍したが,夏の陣において和泉樫井畷で戦死した。

(笠谷和比古)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「塙直之」の解説

塙直之 ばん-なおゆき

1567-1615 織豊-江戸時代前期の武将。
永禄(えいろく)10年生まれ。遠江(とおとうみ)(静岡県)横須賀の人とも尾張(おわり)(愛知県)葉栗の人ともいう。加藤嘉明(よしあき)の家臣で鉄砲大将。関ケ原の戦いで嘉明の命にそむいて主家をさり,のち京都妙心寺にはいって鉄牛と称した。大坂の陣で豊臣方に属し,浅野長晟(ながあきら)の軍とたたかい,慶長20年4月29日戦死。49歳。通称は団右衛門。

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百科事典マイペディア 「塙直之」の意味・わかりやすい解説

塙直之【ばんなおゆき】

塙団右衛門

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「塙直之」の意味・わかりやすい解説

塙直之
ばんなおゆき

塙団右衛門」のページをご覧ください。

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