壬二集(読み)ミニシュウ

デジタル大辞泉 「壬二集」の意味・読み・例文・類語

みにしゅう〔みニシフ〕【壬二集】

鎌倉時代私家集。3巻。藤原家隆作。寛元3年(1245)九条基家が家隆の詠草もとに撰。六家集の一。玉吟集。

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精選版 日本国語大辞典 「壬二集」の意味・読み・例文・類語

みにしゅうみニシフ【壬二集】

  1. 鎌倉初期の私家集。三巻。藤原家隆の詠作を収めたもの。原形は、嘉禎三年(一二三七)家隆の没後寛元三年(一二四五)までに九条基家が編んだものといわれる。約二八〇〇首を集録し、定数歌をまず収め、続いて四季、恋などに部類した歌を並べる。六家集の一つで、新古今調を代表する歌人の集として注目される。書名は家隆の通称「壬生二品」による。壬生二品集。玉吟集。

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改訂新版 世界大百科事典 「壬二集」の意味・わかりやすい解説

壬二集 (みにしゅう)

藤原家隆の他撰歌集。〈六家集〉の一つ。1245年(寛元3)ころに原撰本が成立。総歌数約3300首。九条基家が家隆の詠草に基づき編纂した集が原型か。《玉吟集》と題する伝本も多い。定数歌(一定の数を定めて歌を詠むもので,百首歌が基本)二十数種と,四季部,恋部,雑部など整然と分類された約1280首の歌群とを収録。〈霞立つ末の松山ほのぼのと浪に離るる横雲の空〉など壮年の優艶風から,〈うちつけに幾度空の時雨れつつ今朝山里に冬の来ぬらん〉など晩年の平淡風まで,生涯の作を収める。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「壬二集」の意味・わかりやすい解説

壬二集
みにしゅう

藤原家隆(いえたか)の家集。書名は家隆が壬生二品(みぶにほん)と称されたことによる。別称『壬生二品集』『玉吟集』『家隆卿(きょう)集』。伝本は三系統に分かれ、それぞれ歌数が異なるが、もっとも歌数の多い広本系は三巻、3201首を収める。上・中巻は百首歌・五十首歌などの定数歌や障子歌屏風(びょうぶ)歌、下巻は四季・恋・雑(ぞう)に部類した歌会や歌合(うたあわせ)の詠からなる。多作家と伝えられる歌人家隆の代表的な作品群はほぼ網羅されているといってよい。1245年(寛元3)九条基家(もといえ)が編んだ初撰(しょせん)本にさらに別の資料を加えてなった他撰家集である。六家集の一つ。

久保田淳

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「壬二集」の意味・わかりやすい解説

壬二集
みにしゅう

鎌倉時代の私家集。別名『玉吟集』。藤原家隆の詠草を寛元3 (1245) 年前内大臣藤原基家が編纂したもの。3巻。最も歌数の多い写本によれば約 3200首を収めるが,諸本により歌数の増減がある。前半には定数歌,後半には部類歌を収める。家隆の代表作はほとんど集められている。六家集の一つ。

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