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大ドイツ主義 だいドイツしゅぎGrossdeutschtum

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大ドイツ主義
だいドイツしゅぎ
Grossdeutschtum

19世紀のドイツ統一運動において,オーストリア帝国を含め,その指導下にドイツの統一を実現しようとする立場。 1848年のフランクフルト国民議会において,オーストリアはバイエルン,ヘッセン,メクレンブルクなどの反プロシア勢力を結集して,プロシア王国を中心にオーストリアを除外して統一を実現しようとする小ドイツ主義と激しく対立したが,オーストリア政府の反動的態度や,プロシアの反対によって敗れた。 63年オーストリアは,フランクフルト諸侯会議を開き,大ドイツ主義に基づくドイツ連邦の強化という形でのドイツ統一を試みたが,改革案はプロシアによって拒絶され,両国の対立は激化し,結局 66年のプロシア=オーストリア戦争にプロシアが勝って,小ドイツ主義によるドイツの統一が成った。しかしその後も,オーストリア帝国内でのカトリック的なドイツ民族主義という形で残存した。

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デジタル大辞泉の解説

だいドイツ‐しゅぎ【大ドイツ主義】

19世紀、オーストリアを主体として、ほぼ旧神聖ローマ帝国の全領域を統合するドイツを建設しようとする立場。プロイセンを中心に統一をはかろうとする小ドイツ主義に対する。

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百科事典マイペディアの解説

大ドイツ主義【だいドイツしゅぎ】

1848年三月革命の後に現れた,オーストリアとドイツを統合し,すべてのドイツ人を含むドイツ統一を達成しようとした主張。フランクフルト国民議会では小ドイツ主義との間で対立があった。
→関連項目オーストリア併合フランクフルト国民議会

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世界大百科事典 第2版の解説

だいドイツしゅぎ【大ドイツ主義 Grossdeutsch】

ドイツとオーストリアを統合し,すべてのドイツ人を包含する一つのドイツ統一国家を建設しようとする立場。歴史的には1848年の革命の過程で現れ,オーストリアの排除もやむなしとする〈小ドイツ主義〉と対立した。大ドイツ主義は元来ドイツ人の自然な民族感情に発しており,実際48年の革命では,最初はすべての人が〈大ドイツ主義者〉であったといえる。しかし当時は〈ドイツ〉の範囲さえ定かではなく,そこには一部は異民族をも支配する多数の〈ドイツ〉諸国家があっただけだったから,〈大ドイツ主義〉は当初から難問に遭遇した。

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大辞林 第三版の解説

だいドイツしゅぎ【大ドイツ主義】

一九世紀、オーストリアを中心にドイツを統一しようとした運動。普墺ふおう戦争の結果、プロイセン中心の小ドイツ主義に敗れた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大ドイツ主義
だいどいつしゅぎ
Grodeutschtumドイツ語

19世紀なかば、オーストリアを中心としてドイツの政治的統一を実現しようとした立場。当時なお30余の領邦諸国家に分裂していたドイツでは、一刻も早く統一を実現し、近代的国民国家に脱皮することが焦眉(しょうび)の課題であった。その際、統一の方法をめぐって、大ドイツ主義と小ドイツ主義とが対立した。前者は、旧神聖ローマ帝国の栄光をとどめるオーストリアを盟主として中欧に大ドイツ連邦を建設しようとし、後者は、オーストリアを除外し、プロイセンの指導を主張するものであった。しかし、多民族国家として多くの民族の独立運動を内包し、すでに崩壊の危機に瀕(ひん)していたオーストリアにとって、ドイツの国民的統一運動を指導する大ドイツ主義の実現は、事実上不可能に近く、「一八四八年の革命」(三月革命)に際してドイツ統一問題を審議したフランクフルト国民議会では、小ドイツ派の現実路線が多数を制した。60年代に入ってからも、大ドイツ主義は、プロイセンの専横に反感をもつ南西ドイツ諸邦の間で根強い支持を得ていたが、66年のプロイセン・オーストリア戦争でプロイセンが圧勝したことにより、終止符を打たれた。[良知 力]

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世界大百科事典内の大ドイツ主義の言及

【フランクフルト国民議会】より

… 議会は6月オーストリアのヨーハン大公を帝国摂政とするドイツ中央政府を樹立したのち,憲法の審議に入った。憲法はドイツ諸国を連邦制的に統一するとともに〈ドイツ国民の基本権〉を定めようとし,このうち〈基本権〉の部分は48年12月に完成して直ちに発布されたが,統一ドイツ国の国制に関しては〈大ドイツ主義〉と〈小ドイツ主義〉の対立が生じて審議は紛糾した。しかしドイツ系オーストリアをその他のオーストリア領(ハンガリー,北イタリアなど)と切り離してドイツ国に含めようとする〈大ドイツ主義〉は,その間に態勢を立て直したオーストリア政府によって拒否され,議会は結局実質的に〈小ドイツ主義〉の道をとって,49年3月憲法を可決するとともにプロイセン国王を世襲のドイツ皇帝に選んだが,国民主権に基づくこの〈小ドイツ〉的帝冠はプロイセン国王自身によって拒否されて,議会の全事業は宙に浮いてしまう。…

※「大ドイツ主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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