大刀会(読み)だいとうかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大刀会」の意味・わかりやすい解説

大刀会
だいとうかい

中国、18世紀後半から清(しん)末にかけて、山東河南、安徽(あんき)、江蘇(こうそ)の四省境界地域に広がった民間秘密結社の一つ。白蓮(びゃくれん)教系八卦(はっけ)教の武術組織である坎門(かんもん)に由来し、呪文(じゅもん)を唱え、符(ふ)を飲み、拳術(けんじゅつ)などの武芸によって筋肉を鍛えれば、刀や銃弾を跳ね返せると説いた。19世紀後半以降、頻発した水・干害、外国工業製品の輸入による家内手工業の破壊などによる農民の流民化、大運河による税米輸送の海運への変更などがもたらした、船頭や曳船(えいせん)人夫の失業などを背景とする土匪(どひ)の跳梁(ちょうりょう)に対する自衛組織として、農民や小地主に支持され、拡大した。19世紀末、義和拳(ぎわけん)とともに、ドイツを背景とするカトリック教団(聖言会)の強引な布教に対する反キリスト教暴動に大きな役割を果たし、義和団源流となった。

[小島晋治]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大刀会」の意味・わかりやすい解説

大刀会
だいとうかい
Da-dao-hui; Ta-tao-hui

中国近代の秘密結社。白蓮教一派で 19世紀末,山東省を中心に盛んになり,拳法 (義和拳) を習いキリスト教への反対を唱えた。光緒 21 (1895) ~22年頃反キリスト教暴動 (→仇教運動 ) を起し,同 23年ドイツ人宣教師を殺害した (鉅野教案,なおドイツはこれを口実膠州湾占領) 。同 25年から活発化し,同 26年ピークに達する義和団運動 (→義和団事変 ) にも中心勢力として参加,鎮圧後も農民の自衛的組織として活動した。またのちの中国東北部の抗日運動にも,山東省からの移民を中心とする大刀会が参加した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「大刀会」の解説

大刀会
だいとうかい

清末期の秘密結社で,白蓮教から分かれたもの
おもに山東省に広まり,信者は義和拳 (ぎわけん) を練習した。列強の侵略や宣教師の横暴に反対して,教会を焼くなどキリスト教に反対する運動を起こし,ドイツ人宣教師2名を殺害したことから,1897年のドイツによる膠州 (こうしゆう) 湾占領の口実とされた。のちには,義和団の乱にも参加して活躍。

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デジタル大辞泉プラス 「大刀会」の解説

大刀会

中国、清の時代の秘密結社。白蓮教の流れを汲む、やや宗教的な武術組織。しばしば反キリスト教武力闘争を行い、のちの義和団の活動の源流となった。

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世界大百科事典(旧版)内の大刀会の言及

【義和団】より

…列強の勢力を背景に清朝の保護を受けつつ農村内部に入り込んだ教会が,中国人の土地を収奪し,帝国主義勢力の農村での経済活動の拠点となり,教民と一般農民の間に分裂をつくり,伝統的な農村の共同生活における人々の信仰や生活習慣の切り崩しにかかったためである。1896年,民間秘密結社の大刀会が大規模な仇教運動をおこしたが,大刀会の仇教運動がつぎつぎと展開される一方で,農村の下層農民大衆が教会・教民に対抗して郷土を防衛するため,村々に拳廠を設けて拳術を身につけ,〈会〉〈団〉をつくり,さらに村を連ねて仇教のための組織を形成していった。義和拳,梅花拳などと呼ばれるこの農民主体の武術集団は,大刀会と連動しながら仇教運動を拡大・高揚させていった。…

※「大刀会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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