大原野神社(読み)おおはらのじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「大原野神社」の意味・読み・例文・類語

おおはらの‐じんじゃ おほはらの‥【大原野神社】

京都市西京区大原野南春日町にある神社。旧官幣中社。祭神は建御賀豆智命(たけみかずちのみこと)、天之子八根命(あめのこやねのみこと)ほか二柱。延暦三年(七八四長岡遷都に伴い、春日大社を勧請(かんじょう)したのに始まる。藤原氏氏神として朝野の尊崇を受けた。二十二社の一つ。京春日。大原野。

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デジタル大辞泉 「大原野神社」の意味・読み・例文・類語

おおはらの‐じんじゃ〔おほはらの‐〕【大原野神社】

京都市西京区にある神社。祭神は建御賀豆智命たけみかずちのみこと伊波比主命いわいぬしのみこと天之子八根命あめのこやねのみこと比売神ひめのかみ。古くは2月と11月に行われた大原野祭りは、現在は4月に行われている。

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日本歴史地名大系 「大原野神社」の解説

大原野神社
おおはらのじんじや

[現在地名]西京区大原野南春日町

丹波・山城国境に近い小塩おしお山の東麓、寺戸てらど丘陵に囲まれる盆地の西斜面に位置し、遠く京都盆地を一望する。祭神は奈良春日社と同じ建甕槌たけみかづち命・伊波比主いわいぬし命・天児屋根あめのこやね命・比売ひめ神の四神。本朝十六社・同二十二社の一(二十二社註式)。旧官幣中社。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔藤原氏の氏神〕

社伝は延暦三年(七八四)長岡ながおか京への遷都にあたり、藤原氏出身の桓武天皇の皇后乙牟漏が氏神の春日社への参詣が不便になるとして、長岡京近傍の当地に春日明神を勧請したのに始まるとする。このことは「大鏡」裏書にも「大原野社長岡帝都之時祀之」と記されている。また平安遷都後の嘉祥三年(八五〇)、左大臣藤原冬嗣の奏請により正式に春日明神を乙訓おとくに郡大原野村小塩山麓の現社地に勧請・経営し、その地名によって大原野社と称し、永く王城を鎮護する神として祀った(公事根源・神祇正宗)。貞観三年(八六一)二月二五日皇太后藤原順子が行啓(三代実録)、永観元年(九八三)円融天皇の行幸があり(帝王編年記)、その後しばしば行幸に及んでいる。藤原氏の氏神として摂関家をはじめ崇敬は厚く、伊勢の斎院に擬して斎女が奉仕していた。朝廷も春日社に準じて奉幣のことを定め、奉幣の数は摂津住吉社と同じ四本と決められている(「二十二社註式」二十二社次第幣数条)。神領は「三代実録」に、貞観七年四月一七日「勅奉諸明神神田(中略)大原野神五段、並以山城国愛宕・紀伊・乙訓・葛野等郡得度除帳田之」とあり、五段と山城四郡の得度除帳田を充てられたことがみえる。次いで「新抄格勅符抄」に「大原野十戸山城国已上新封」とあり、一〇戸の神戸が充てられたことが知られる。

〔室町幕府祈願所〕

中世には足利氏の崇敬と安堵により荘園支配が軌道に乗った。大原野神社文書にこれをみると、元弘三年(一三三三)足利尊氏は当社に祈祷を命じ(五月一五日書状)、建武三年(一三三六)元弘以来の収公された社領と当知行地を安堵している(同年一二月五日尊氏御教書)。次いで足利直義も観応元年(一三五〇)当社の山林および「春日野之芝」を社地として安堵(同年六月八日直義御教書)、足利義満も応永六年(一三九九)大内義弘の謀反に際し天下静謐を祈らしめ、恩賞として山城奥山田郷および西岡にしのおか内権暦田などを安堵している(同六年一〇月二九日・同一二年六月二七日義満御教書)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大原野神社」の意味・わかりやすい解説

大原野神社
おおはらのじんじゃ

京都市西京区大原野南春日(みなみかすが)町に鎮座。建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いわいぬしのみこと)、天之子八根命(あめのこやねのみこと)、比咩大神(ひめのおおかみ)を祀(まつ)る。桓武(かんむ)天皇は784年(延暦3)平城京より長岡京に遷都とともに、春日大社の祭神を現社地に鎮祭したが、さらに長岡京より平安京に遷都後、藤原冬嗣(ふゆつぐ)の奏請(そうせい)により850年(嘉祥3)改めて現社地に勧請(かんじょう)した。その後、藤原氏の氏神として春日大社同様に厚く尊崇された。平安中期には二十二社の一社に加列され、2月上卯(う)日と11月中子(ね)日に勅使が参向するなど、春日大社にはみられぬ祭儀もあった。その社名は「大原野」の地名に由来する。中世には藤原氏の衰微とともに社頭もさびれたが、江戸初期に後水尾(ごみずのお)天皇が社殿を再興して旧態に復した。旧官幣中社。例祭日は4月8日。「大原野大明神縁起」ほか朱印状などが残されている。境内背後の小塩山(おしおやま)は、往時は岩塩を産したと伝え、役行者(えんのぎょうじゃ)の伝承も付加されている。

[二宮正彦]

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改訂新版 世界大百科事典 「大原野神社」の意味・わかりやすい解説

大原野神社 (おおはらのじんじゃ)

京都市西京区大原野南春日町に鎮座。建御賀豆智(たけみかずち)命,伊波比主(いわいぬし)命,天之子八根(あめのこやね)命,比売(ひめ)神をまつる。784年(延暦3)長岡京へ遷都のとき,皇后藤原乙牟漏がその氏神春日神社を勧請したことにはじまり,平安遷都のあと850年(嘉祥3)社殿を造営,地名より大原野神社と称した。翌年(仁寿1)2月勅祭を行い,以後毎年2月上卯日,11月中子日に官祭の大原野祭が行われ,勅使のほか中宮・東宮の使も派遣,その供奉人には藤原氏の氏人を用いた。式内社ではないが,藤原氏の勢力とともに栄え,斎宮・斎院にならい斎女がおかれた。明治の制で官幣中社。例祭4月8日。
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百科事典マイペディア 「大原野神社」の意味・わかりやすい解説

大原野神社【おおはらのじんじゃ】

京都市西京区大原野南春日町に鎮座する旧官幣中社。健御賀豆智(たけみかずち)命,伊波比主(いわいぬし)命,天之子八根(あめのこやね)命,比売(ひめ)神をまつる。850年藤原冬嗣が,春日大社を分祀(ぶんし)したと伝え,藤原氏の氏神である。二十二社の一つ。例祭4月8日。御田刈祭(9月10日)には神相撲がある。
→関連項目鹿田荘吉田神社

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大原野神社」の意味・わかりやすい解説

大原野神社
おおはらのじんじゃ

京都市西京区に鎮座。元官幣中社。祭神は,タケミカズチノミコト,イワイヌシノミコト,アメノコヤネノミコト,ヒメガミ。例祭4月8日。藤原氏の氏神として崇敬された。

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