二十二社(読み)にじゅうにしゃ

精選版 日本国語大辞典 「二十二社」の意味・読み・例文・類語

にじゅうに‐しゃ ニジフ‥【二十二社】

中古、恒例の奉幣のほか、国家の重大事天変地異の時、朝廷から奉幣された二二の神社。永保元年(一〇八一)、制度として確定。伊勢・石清水・賀茂・松尾・平野・稲荷・春日・大原野大神(おおみわ)石上(いそのかみ)・大倭(おおやまと)・広瀬・龍田・住吉梅宮・吉田・広田・祇園・北野・丹生貴船日吉(ひえ)の各社。
日本紀略‐寛弘六年(1009)二月一四日「祈年穀奉幣廿二社

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デジタル大辞泉 「二十二社」の意味・読み・例文・類語

にじゅうに‐しゃ〔ニジフニ‐〕【二十二社】

平安時代、朝廷から奉幣使の立った22の神社。伊勢石清水いわしみず賀茂かも松尾平野稲荷いなり春日かすが大原野大神おおみわ石上いそのかみ大和広瀬竜田住吉日吉ひえ梅宮吉田広田祇園ぎおん北野丹生川上にうかわかみ貴船きふねの各社。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「二十二社」の意味・わかりやすい解説

二十二社
にじゅうにしゃ

平安時代中期以降、中世において朝廷より格別の崇敬を受けた神社。祈雨・祈年穀をはじめ国家の大事に際して臨時に朝廷より使を遣わし、幣帛(へいはく)を奉る神社をいう。社数22の神社をいい、社格の一種とされた。平安初期より、農作の順調な生育と祈雨・止雨祈願のための臨時奉幣が特定の有力神社である名神(みょうじん)社へ対して頻繁に行われるようになり、そのなかの有力社を中心として醍醐(だいご)朝の昌泰(しょうたい)・延喜(えんぎ)年間(898~923)にまず十六社が選ばれた。伊勢(いせ)、石清水(いわしみず)、賀茂(かも)、松尾、平野、稲荷(いなり)、春日(かすが)、大原野、大神(おおみわ)、石上(いそのかみ)、大和(やまと)、広瀬、龍田(たつた)、住吉、丹生(にう)、貴布禰(きふね)の16社をいい、伊勢および式外社の石清水、大原野社を除くとすべて名神であり、名神中の名神が選ばれている。地域的にも伊勢、住吉を除くと平安京近辺の王城鎮護の神を中心に山城(やましろ)国(京都府)7社と、古京の古社である大和国(奈良県)7社で、山城・大和の2国に集中している。承平(しょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱の終焉(しゅうえん)する941年(天慶4)以降、十六社奉幣がしばしば行われ、966年(康保3)に制度として確立した。ついで991年(正暦2)吉田、広田、北野の3社が加わり19社、994年には梅宮(うめのみや)社を加えて20社とした。このあと995年(長徳1)に祇園(ぎおん)(八坂(やさか))が、また1039年(長暦3)以降は近江(おうみ)国(滋賀県)日吉(ひえ)社も加わるようになり、1081年(永保1)に永例とされて二十二社奉幣制度が確立した。

 平安末期には平氏の台頭により安芸(あき)国(広島県)厳島(いつくしま)社の加列が問題となったが加えられることなく、以来22の社数は固定化し、室町中期の奉幣が廃されるまで続けられた。臨時奉幣のほか、長元(ちょうげん)年間(1028~37)ごろからは2月・7月(または8月)の年2回祈年穀奉幣が恒例化するようになる。二十二社のほとんどは朝廷と深いかかわりをもち、伊勢の神嘗(かんなめ)祭、石清水祭、賀茂祭など十六神社の恒例祭が国家公的の祭祀(さいし)(公祭)とされた。明治の新たな社格制度においても、古来の伝統が重んじられ、別格の伊勢を除いてすべて官幣大・中社に列している。

[岡田荘司]

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改訂新版 世界大百科事典 「二十二社」の意味・わかりやすい解説

二十二社 (にじゅうにしゃ)

古代末期以降,中世に,朝廷より特別の処遇を受けた神社のことで,その総数より二十二社といい,社格の一つともみられている。古くより官社の制度とは別に朝廷より特別の崇敬を受けた神社があり,国家の重大事や,天変地異にあたって,使者を派遣,奉幣されてきた。しかし律令体制も崩れ,《延喜式》巻九・十に記す神社にもしだいに班幣されなくなる一方,依然として朝廷の篤い崇敬をうけていた神社は時代とともに二十二社に限られ,いわゆる二十二社の制ができた。それは初めは八社,十一社,十六社などと一定しなかったが,1081年(永保1)11月,日吉社を加え,このときより一定した。その二十二社とは,伊勢,石清水(いわしみず),賀茂上下,松尾,平野,稲荷,春日(以上,上七社),大原野,大神(おおみわ),石上(いそのかみ),大和(おおやまと),広瀬,竜田,住吉(以上,中七社),日吉,梅宮,吉田,広田,祇園,北野,丹生(にゆう),貴船(以上,下八社)のことで,うち伊勢,石清水は皇室の宗廟,大神,大和,石上は大和時代よりの皇室の崇敬社,広瀬,竜田,丹生(丹生川上),貴船は風雨の神,住吉,広田は神功皇后以来の崇敬社,賀茂,松尾,日吉,稲荷は京都の鎮守,春日,大原野,吉田は藤原氏の,平野は王氏らの,梅宮は橘氏の氏神すなわち皇室外戚の祖神,祇園,北野は新信仰社として崇敬されたものとみられる。この二十二社に,1179年(治承3)厳島神社を加えるよう平清盛が提案したが実現せず,この数のまま1449年(宝徳1)8月まで続けられた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「二十二社」の意味・わかりやすい解説

二十二社
にじゅうにしゃ

平安時代以降,朝廷の奉幣を受けた 22の神社。伊勢神宮のほかは,すべて畿内の神社。昌泰1(898)年以来この名がみえているが,一定したものではなかった。長暦3(1039)年に,伊勢,石清水,賀茂,松尾,平野,稲荷,春日,大原野,大神(おおみわ),石上(いそのかみ),大和(おおやまと),広瀬,竜田,住吉,日吉,梅宮,吉田,広田,祇園,北野,丹生(にう),貴船の 22社と定められた。特に伊勢神宮,石清水八幡宮,賀茂神社(→賀茂御祖神社賀茂別雷神社)は重視され,三社奉幣が行なわれた。二十二社の名は明治維新後に廃絶した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「二十二社」の解説

二十二社
にじゅうにしゃ

11世紀中頃から祈年穀・祈雨・止雨などの奉幣対象として,朝廷から崇敬をうけた神社。伊勢・石清水・賀茂上下・松尾・平野・稲荷・春日(以上,上七社という),大原野・大神(おおみわ)・石上(いそのかみ)・大和・広瀬・竜田・住吉(以上,中七社という),日吉・梅宮・吉田・広田・祇園・北野・丹生・貴布禰(きふね)(以上,下八社という)をさす。十六社奉幣の対象社が拡大された二十二社奉幣は,室町中期まで存続し,当時最高の社格であった。「二十二社註式」によれば十六社は上七社・中七社と丹生・貴布禰で,991年(正暦2)に吉田・広田・北野が,994年に梅宮が,995年(長徳元)に祇園が,997年に日吉が加わり二十二社となった。

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世界大百科事典(旧版)内の二十二社の言及

【神社】より

…さらに平安時代になると,国内の神々を一ヵ所にまつる総社(そうじや)が建てられたりした。朝廷でも全国の神社に奉幣するかわりに,畿内の二十二社(にじゆうにしや)に奉幣することが多くなり,二十二社に選ばれた神社は特別の社格を認められたもののように考えられた。 鎌倉時代以降,幕府や大名はいずれも神社の修理造替につとめ,神領地を寄進し敬神の態度をとった。…

【神道】より

…さらに平安時代の末になると,国内の数々の神社を一社に統合して奉幣を簡略にすることもはじまり,そうした神社を総社(そうじや)と呼んだ。同じころ,朝廷でも重要な祈願に際して,畿内を中心に主要な神社を選んで奉幣することがはじまり,二十二社(にじゆうにしや)の名が固定した。神社の祭祀を政治の中で重視することは,鎌倉幕府以後の武家政権にも受け継がれ,神社をめぐる制度はさまざまに変遷した。…

※「二十二社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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