社地は「山城名勝志」が「社家説云、当社元坐吉田山西、文明中遷神楽岡麓、旧趾今有二株松、若宮殿跡、在石像弥勒堂東南」と記すように、初め現左京区
国鉄常磐線勝田駅の東方にある。祭神は日本武尊。旧村社。初め八幡宮と称し、寛文三年(一六六三)の鎮守開基帳(彰考館蔵)の
「鴨志田家旧記」(「勝田市史」所収)によると、八幡宮は、康治元年(一一四二)山城国の石清水八幡宮を勧請して
「富士岡村誌」や
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市左京区吉田神楽岡町に鎮座。建御賀豆智(たけみかずち)命,伊波比主(いわいぬし)命,天之子八根(あめのこやね)命,比売神をまつる。奈良の春日社を勧請した神社。すなわち,藤原氏がその氏神春日社を長岡京に勧請して大原野神社を創建したと同様に,平安京に勧請したのが当社である。藤原氏北家の中納言山蔭が貞観年中(859-877)に春日四神をこの地に勧請,氏神として奉斎したことに始まる。その子中正の女時姫が関白兼家の室となり詮子(東三条院)を生み,詮子が円融天皇の女御となり一条天皇を生んだことから,986年(寛和2)一条天皇即位ののち,同年12月円融上皇の詔により大原野神社に準じ,二季の官幣にあずかることとなり,翌年より実施された。以後外戚の氏神として尊崇され,1106年(嘉承1)官符により四度の奉幣にあずかることとなり,二十二社の列に加わり,4月と11月の中酉日に官祭が行われることとなった。神階は1356年(正平11・延文1)正一位。神祇官僚官の卜部氏の兼親が初めて預となって以降,その職を継承して吉田氏を称したが,室町中期以降神祇官の衰退期に兼俱が出て唯一宗源神道(吉田神道)を唱えて神社界を風靡し,1484年(文明16)本社に接近して斎場所大元宮(だいげんぐう)を設けた。以降,江戸末期まで吉田神道の本拠地ともなった。江戸時代には社領190石。旧官幣中社。例祭4月18日。2月節分祭が斎場所で行われる。本殿は1648年(慶安1)修築,丹塗4棟の春日造。本殿南南東に離れて斎場所社殿があり,現在末社の一つとされる。中央にある大元宮の現社殿(重文)は,吉田兼俱の創建のあと1601年(慶長6)の再建で,八角殿,入母屋造で茅葺き。
執筆者:鎌田 純一
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京都市左京区吉田神楽岡(かぐらおか)町に鎮座。健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いわいぬしのみこと)、天之子八根命(あめのこやねのみこと)、比売(ひめ)神を祭神とし、奈良の春日(かすが)大社、京都府乙訓(おとくに)郡の大原野(おおはらの)神社と同神を祀(まつ)る藤原家氏神(うじがみ)三社の一つ。社伝によれば、貞観(じょうがん)年中(859~877)、藤原氏北家魚名(ほっけいおな)の流裔(りゅうえい)藤原山蔭(やまかげ)が春日大社の神を勧請(かんじょう)したのを創祀(そうし)とする。「宗族のなかから后位につく者が出たならば官祭にあずからしめ奉るべし」と立願していたが、のち一族の詮子(せんし)が円融(えんゆう)天皇の後宮に入り一条(いちじょう)天皇を産んで皇太后となるに至り、二季の官祭の詔(みことのり)を受けて、987年(永延1)11月に祭礼が始行されたと伝える。さらに1106年(嘉承1)には四度の官幣にあずかり、王城鎮守19社(22社)の第11位に列せられた。官社となったときに卜部兼延(うらべかねのぶ)が祠官(しかん)となって以来、社務職は世襲となり、歴代にわたって有能な人材を輩出。鎌倉時代の兼煕(かねひろ)のとき吉田氏を名のる。文明(ぶんめい)年間(1469~87)兼倶(かねとも)の代に唯一神道(ゆいいつしんとう)(吉田神道)を唱え、斎場を神域内に設け全国の神を合祀して大元宮(だいげんきゅう)と称し、明治維新まで全国諸社を支配した。江戸時代の朱印社領は590石に上った。旧官幣中社。例祭4月18日のほか、室町時代以来の伝統を誇る節分祭は有名である。境内末社の斎場大元宮の本殿は1601年(慶長6)の再建で、国の重要文化財に指定。
[菟田俊彦]
茨城県水戸市宮内町に鎮座。祭神に日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀(まつ)る。日本武尊が東夷(とうい)平定の途次、この地で休まれたことから創祀(そうし)されたと伝わる。古く地方の大社として朝廷の崇敬厚く、延喜(えんぎ)の制では名神大社(みょうじんたいしゃ)。常陸(ひたち)国の三宮(さんのみや)。鎌倉後期には158町余の巨大な社領を有した。のち、徳川光圀(みつくに)は社殿を造修し、徳川斉昭(なりあき)は水戸藩領内の総鎮守(そうちんじゅ)として『大日本史』を奉納した。もとは現社地より東方100メートルくらいの所に祀られていた。例祭日は10月15、16日。宝物に太刀(たち)、神鏡、猿田彦面(さるだひこめん)などを蔵す。
[沼部春友]
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京都市左京区に鎮座。二十二社下社。旧官幣中社。祭神は健御賀豆智(たけみかずち)神・伊波比主(いわいぬし)神・天之子八根(あめのこやね)神・比売(ひめ)神。貞観年間に中納言藤原山蔭により春日四神を勧請したのが創祀と伝えられ,平安京近郊の藤原氏の氏神として信仰された。神職は987年(永延元)から卜部(うらべ)氏(のち吉田氏と称する)が世襲し,室町時代には吉田兼倶(かねとも)が吉田神道を開き,神社を再興。例祭は4月18日(以前は4月中申日・11月中酉日)。
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…祭礼行事のため,常設あるいは臨時に設けられる清浄な場所。大嘗祭(だいじようさい)の斎場,吉田神社の斎場所などが有名である。大嘗祭では悠紀(ゆき),主基(すき)の両斎国よりもたらされる稲穀や他の国々から献上される由加物などを納入する所を斎場という。…
…室町時代後期に京都の吉田神社の神官吉田兼俱(かねとも)がおこした神道の一流派。兼俱自身は,元本宗源(げんぽんそうげん)神道,唯一宗源神道,唯一神道などと称したが,一般には吉田神道,卜部(うらべ)神道と呼ばれる。…
※「吉田神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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