地質学者。東京生まれ。1929年(昭和4)東京帝国大学地質学科を卒業。在学中から徹底した野外調査を重ねて、湘南(しょうなん)地方の第三紀・第四紀の層序、地形発達史の研究から、全国各地の新生代地質構造を解明した。一方、東大地震研究所員として地震、火山、温泉の調査報告も多く、化石研究でも一家を成した。1931年の『岩波講座・第四紀』は画期的業績と評価され、1938年『日本の第三紀の地殻変形』で理学博士となる。1939年から4回にわたって大陸の調査を行い、1943年東大の教授に進んで層位学と東亜地質を、兼任の東京文理科大学教授としては自然地理を講じた。同年インドシナの調査旅行でデング熱にかかってから健康を害し、47歳で死去した。主著『日本の地質構造』ほか著書論文250編。地理学、地震学などの関連分野にも大きな影響を与えた。
[石山 洋]
昭和期の地質学者 東京帝国大学理学部教授。
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…地層が波状に変形した構造を褶曲といい,この変形構造をつくる作用が現在まで継続している場合,その変形構造を活褶曲という。活褶曲の研究は1940年代初頭の大塚弥之助の研究に始まる。大塚は,秋田県,山形県などにおいて,新第三紀層の褶曲軸を横切る河成段丘面が,褶曲構造と同じ傾向の変形をしていることや,水準測量の繰返しから求められる地盤の隆起・沈降が,褶曲が成長する向きに進行していることから,これらの地域の褶曲が現在も“生きている”と考えた。…
※「大塚弥之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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