出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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大岡 育造
オオオカ イクゾウ
- 肩書
- 衆院議長,文相
- 生年月日
- 安政3年6月3日(1856年)
- 出生地
- 長門国豊浦郡小串村(山口県)
- 経歴
- 長崎医学校に入ったが、後上京、講法学館、司法省法学校などで学ぶ。明治23年「江戸新聞」を買収、「中央新聞」と改称し、その社長となった。同年帝国議会開設に際し、山口県選出の衆議院議員となり、以来当選12回。この間、32年に欧米漫遊、帰国後政友会総務となる。36年東京市参事会員となり、次いで市会議長となった。大正元年以来、衆院議長に就任すること3回。3年山本権兵衛内閣の文部大臣となったが、間もなく退官、その後は政友会の長老として政界に重きをなした。
- 没年月日
- 昭和3年1月26日
- 家族
- 息子=大岡 龍男(俳人)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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大岡 育造
オオオカ イクゾウ
明治〜昭和期の政治家 衆院議長;文相。
- 生年
- 安政3年6月3日(1856年)
- 没年
- 昭和3(1928)年1月26日
- 出生地
- 長門国豊浦郡小串村(山口県)
- 経歴
- 長崎医学校に入ったが、後上京、講法学館、司法省法学校などで学ぶ。明治23年「江戸新聞」を買収、「中央新聞」と改称し、その社長となった。同年帝国議会開設に際し、山口県選出の衆議院議員となり、以来当選12回。この間、32年に欧米漫遊、帰国後政友会総務となる。36年東京市参事会員となり、次いで市会議長となった。大正元年以来、衆院議長に就任すること3回。3年山本権兵衛内閣の文部大臣となったが、間もなく退官、その後は政友会の長老として政界に重きをなした。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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大岡育造
おおおかいくぞう
[生]安政3(1856).6.3. 山口
[没]1928.1.26. 静岡
政治家。講法学館,司法省法学校などに学び,1890年『中央新聞』を発刊。同年帝国議会開設に際し山口県より衆議院に当選,政界に入った。以来当選 12回。 1900年伊藤博文の立憲政友会創設に参加,政友会総務をつとめ,その後東京市参事会員,東京市会議長などを歴任。 12年衆議院議長となり,14年には山本内閣の文相に就任した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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大岡育造【おおおかいくぞう】
政治家。長門(ながと)国豊浦郡の出身。代言人を経て,《中央新聞》などを経営。1890年以後衆議院議員に12回当選。政友会総務,東京市議会議長を歴任し,1912年以後は衆議院議長に3回就任した。1914年文部大臣。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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大岡育造 おおおか-いくぞう
1856-1928 明治-昭和時代前期の政治家。
安政3年6月3日生まれ。司法省法学校にまなび代言人となる。明治23年第1回の衆議院議員(当選13回)。33年政友会に参加。東京市会議長,衆議院議長,第1次山本内閣の文相。昭和3年1月26日死去。73歳。長門(ながと)(山口県)出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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大岡 育造 (おおおか いくぞう)
生年月日:1856年6月3日
明治時代-昭和時代の政治家。中央新聞社社長;衆議院議員
1928年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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