日本大百科全書(ニッポニカ) 「大岡育造」の意味・わかりやすい解説
大岡育造
おおおかいくぞう
(1856―1928)
明治・大正時代の政党政治家。長州生まれ。司法省法学校に学び弁護士となる。1880年(明治13)政治評論雑誌『東京輿論(よろん)新誌』を創刊、1890年『江戸新聞』を買収して『中央新聞』として発行、薩閥(さつばつ)系機関紙と目された。また同年山口県より代議士に当選、初め大成会に属し、1892年には西郷従道(つぐみち)らを擁して国民協会を結成した。1900年(明治33)伊藤博文(ひろぶみ)の立憲政友会創立に参画、総務委員となった。さらに1903年東京市参事会員となって市政に参与、1912年(大正1)には衆議院議長に選ばれ、第一次護憲運動の渦中で桂(かつら)太郎首相に辞職を勧奨し、辞任を決意させた。続く山本権兵衛(ごんべえ)内閣には、奥田義人(おくだぎじん)の後を継いで1914年文相となったが、やがて内閣総辞職となり手腕を発揮することなく終わった。
[宇野俊一]