改訂新版 世界大百科事典 「大恐怖」の意味・わかりやすい解説
大恐怖 (だいきょうふ)
Grande Peur
フランス革命初期の1789年夏にフランスの農村で広範に生じた騒乱状態をいう。この年の3月末から8月にかけて各地で農民蜂起が発生しており,それらの農民蜂起と大恐怖とは不可分の関係にあるが,大恐怖と呼ばれる騒乱状態は,本来の農民蜂起とは区別された一種の集団心理的なパニック現象を指している。それは,農民蜂起よりもはるかに広範囲にわたり,7月末から8月初めまでの短期間のうちにフランスのほとんど全土にまで波及した。したがって,大恐怖という騒乱状態の性質を理解するためには,農民蜂起との関係,およびパニック現象の背景を考えなければならない。
まず,89年春に始まる各地の農民蜂起は,多年にわたる領主と農民との対立が爆発したものであり,蜂起した農民による領主の城館への放火や年貢徴収簿の焼却などというかたちをとっていた。このような領主と農民との対立の激化は,農村における社会的緊張を高め,その社会的緊張が大恐怖の引金になった場合がある。また逆に,大恐怖のパニックに襲われて集結した農民たちが,それを機会に農民蜂起に転じて領主の城館を襲撃した場合もある。このように,農民蜂起と大恐怖とは不可分の関係にあるが,明確な攻撃目標をもった農民蜂起とパニック的な大恐怖とは異質の現象であり,さきに農民蜂起が生じていた地域はかえって大恐怖のパニック現象を経験していない。次に,大恐怖という集団心理的パニック現象が発生し波及したことの背景にあったのは,当時の社会的不安の高まりとそれに対する防衛的反作用である。当時の社会的不安というのは,全国三部会の召集を契機として貴族と平民との対立が激化するなかで,貴族が武力に訴えるのではないかという〈貴族の陰謀〉のうわさが流布され,しかも農村では,乞食や浮浪人が貴族に雇われて農家を襲うのではないかという〈野盗の恐怖〉が広まっていたことを指している。このような〈貴族の陰謀〉と〈野盗の恐怖〉に対してみずからを防衛しようとする集団心理が,農民たちを大恐怖というパニック現象に導いたのである。
こうして,大恐怖は農民蜂起と不可分の関係にはあるが,それとは異質の集団心理的パニック現象として発生し波及した。89年7月末に6地点で,ささいな契機からパニックが生じると,それらの〈原初的〉パニックは,口から口へと伝えられ,8月初めまでの短期間のうちに,フランスのほとんど全土に広がった。貴族の陰謀や野盗の襲来を恐れた農民たちは,みずからを防衛するために集結し,武器をとって警戒体制を敷き,挙動のあやしい者を逮捕し,日ごろから敵視していた貴族をときには殺害さえするに及ぶ,というような騒乱状態が一般化したのである。フランス革命が,8月に貴族の諸特権や領主の諸権利の廃止に踏み切ったのは,大恐怖の騒乱を鎮めるための措置でもあったといえる。
執筆者:遅塚 忠躬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報