圜悟克勤(読み)エンゴコクゴン

デジタル大辞泉 「圜悟克勤」の意味・読み・例文・類語

えんご‐こくごん〔ヱンゴ‐〕【圜悟克勤】

[1063~1135]中国代の臨済宗の僧。中国臨済宗第五祖の法演ほうえん門下夾山きょうざん碧巌へきがんに住み、「碧巌録」(10巻)を著した。仏果禅師。真覚禅師。

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精選版 日本国語大辞典 「圜悟克勤」の意味・読み・例文・類語

えんご‐こくごんヱンゴ‥【圜悟克勤】

  1. 中国、宋代の臨済宗楊岐派の僧。四川省崇寧出身。五祖法演の弟子となりその法を嗣ぐ。「雪竇頌古」に垂示著語・評唱を付して「碧巖録」を著わした。(一〇六三‐一一三五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「圜悟克勤」の意味・わかりやすい解説

圜悟克勤
えんごこくごん
(1063―1135)

中国、宋(そう)代の禅僧。臨済(りんざい)宗楊岐(ようぎ)派に属する。俗姓は駱(らく)氏。字(あざな)は無著(むちゃく)。諡号(しごう)は仏果(ぶっか)禅師、真覚(しんかく)禅師。彭州(ほうしゅう)(四川(しせん)省)嵩寧(すうねい)に生まれる。幼くして出家し、各地の高僧のもとで修行したのち、五祖法演(ほうえん)(1024?―1104)の弟子となり、その法を嗣(つ)いだ。成都の昭覚寺に住し、のち夾山(きょうざん)の碧巌(へきがん)に移り、門人のために雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)の頌古(じゅこ)(古則を主題にした頌)百則を提唱した。これを編集したのが『碧巌録(へきがんろく)』10巻であり、また雪竇拈古(ねんこ)(古人故事評釈)の提唱を編集したのが『撃節録(きゃくせつろく)』2巻である。

[田中良昭 2017年1月19日]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「圜悟克勤」の意味・わかりやすい解説

圜悟克勤
えんごこくごん
Yuan-wu Ke-qin

[生]嘉祐8(1063)
[没]紹興5(1135).8.5.
中国,宋の臨済宗の僧。字は無著。『碧巌録』の著者として著名。幼少にして出家し,初め経論を学んだがあきたらず,禅宗の惟勝 (いしょう) に参禅し諸師を歴叩 (れきこう) して修行した。五祖法演 (ほうえん) に参禅してついに大悟し,一家をなした。徽宗,高宗などの帰依を受け,圜悟の法号を与えられた。すすめにより天寧寺,金山寺などに歴住したが晩年は蜀の国に入り,昭覚寺に隠棲し,ここで示寂した。弟子に大慧宗杲 (だいえそうごう) ,虎丘紹隆らが出て南宋代の禅林宣揚に貢献した。圜悟の書は気品風格がにじみ出ており,禅家の墨跡として古来珍重された。弟子の紹隆に与えた,俗に「流れ圜悟」と呼ばれる印可状 (東京国立博物館) は彼の真筆である。語録 20巻がある。

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世界大百科事典(旧版)内の圜悟克勤の言及

【碧巌録】より

…詳しくは,《仏果圜悟(えんご)禅師碧巌録》または《仏果碧巌破関撃節》という。禅宗五家の一派,雲門宗4世の雪竇重顕(せつとうちようけん)が,仏祖の問答100則を選んで,頌をつけたものにもとづいて,臨済宗楊岐4世の仏果禅師圜悟克勤が,それらの一句ごとに下語を加え,さらに全体について提唱したもの。碧巌とは,仏果が原書を提唱した禅院の一つ,潭州夾山霊泉寺の開創にちなむ句より来ていて,夾山の境地を問う僧に答えて,開山の善会が,〈猿は子を抱いて青嶂の後に帰り,鳥は花を銜(は)んで碧巌の前に落つ〉と歌ったのに基づく。…

【墨跡】より

…こうして墨跡の類は日本禅林においても珍重され,また,将軍,五山僧,貴族らによって各禅林の書斎で開かれる詩会を通して,さらには堺の町衆茶人による草庵における茶席の場で,鑑賞されるようになった。 墨跡を床の間に飾った早期の例は,わび茶の創始者村田珠光の〈流れ圜悟(えんご)〉で,山上宗二は《茶器名物集》に圜悟克勤(こくごん)の墨跡を第1位に掲げ,〈右一軸ハ,昔珠光,一休和尚ヨリ被申請候。墨蹟ノカケ始也〉と記している。…

※「圜悟克勤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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