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圜悟克勤 えんごこくごんYuan-wu Ke-qin

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

圜悟克勤
えんごこくごん
Yuan-wu Ke-qin

[生]嘉祐8(1063)
[没]紹興5(1135).8.5.
中国,宋の臨済宗の僧。字は無著。『碧巌録』の著者として著名。幼少にして出家し,初め経論を学んだがあきたらず,禅宗の惟勝 (いしょう) に参禅し諸師を歴叩 (れきこう) して修行した。五祖法演 (ほうえん) に参禅してついに大悟し,一家をなした。徽宗高宗などの帰依を受け,圜悟の法号を与えられた。すすめにより天寧寺金山寺などに歴住したが晩年は蜀の国に入り,昭覚寺に隠棲し,ここで示寂した。弟子大慧宗杲 (だいえそうごう) ,虎丘紹隆らが出て南宋代の禅林宣揚に貢献した。圜悟の書は気品と風格がにじみ出ており,禅家墨跡として古来珍重された。弟子の紹隆に与えた,俗に「流れ圜悟」と呼ばれる印可状 (東京国立博物館) は彼の真筆である。語録 20巻がある。

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デジタル大辞泉の解説

えんご‐こくごん〔ヱンゴ‐〕【圜悟克勤】

[1063~1135]中国、代の臨済宗の僧。中国臨済宗第五祖の法演(ほうえん)の門下。夾山(きょうざん)の碧巌(へきがん)に住み、「碧巌録」(10巻)を著した。仏果禅師。真覚禅師。

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大辞林 第三版の解説

えんごこくごん【圜悟克勤】

1063~1135) 中国宋代の臨済宗の僧。字あざなは無着。「碧巌録」の完成者。墨跡が初期茶道の世界で珍重され、「流れ圜悟」などが現存する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

圜悟克勤
えんごこくごん
(1063―1135)

中国、宋(そう)代の禅僧。臨済(りんざい)宗楊岐(ようぎ)派に属する。俗姓は駱(らく)氏。字(あざな)は無著(むちゃく)。諡号(しごう)は仏果(ぶっか)禅師、真覚(しんかく)禅師。彭州(ほうしゅう)(四川(しせん)省)嵩寧(すうねい)に生まれる。幼くして出家し、各地の高僧のもとで修行したのち、五祖法演(ほうえん)(1024?―1104)の弟子となり、その法を嗣(つ)いだ。成都の昭覚寺に住し、のち夾山(きょうざん)の碧巌(へきがん)に移り、門人のために雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)の頌古(じゅこ)(古則を主題にした頌)百則を提唱した。これを編集したのが『碧巌録(へきがんろく)』10巻であり、また雪竇拈古(ねんこ)(古人の故事の評釈)の提唱を編集したのが『撃節録(きゃくせつろく)』2巻である。[田中良昭]

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世界大百科事典内の圜悟克勤の言及

【碧巌録】より

…詳しくは,《仏果圜悟(えんご)禅師碧巌録》または《仏果碧巌破関撃節》という。禅宗五家の一派,雲門宗4世の雪竇重顕(せつとうちようけん)が,仏祖の問答100則を選んで,頌をつけたものにもとづいて,臨済宗楊岐4世の仏果禅師圜悟克勤が,それらの一句ごとに下語を加え,さらに全体について提唱したもの。碧巌とは,仏果が原書を提唱した禅院の一つ,潭州夾山霊泉寺の開創にちなむ句より来ていて,夾山の境地を問う僧に答えて,開山の善会が,〈猿は子を抱いて青嶂の後に帰り,鳥は花を銜(は)んで碧巌の前に落つ〉と歌ったのに基づく。…

【墨跡】より

…こうして墨跡の類は日本禅林においても珍重され,また,将軍,五山僧,貴族らによって各禅林の書斎で開かれる詩会を通して,さらには堺の町衆茶人による草庵における茶席の場で,鑑賞されるようになった。 墨跡を床の間に飾った早期の例は,わび茶の創始者村田珠光の〈流れ圜悟(えんご)〉で,山上宗二は《茶器名物集》に圜悟克勤(こくごん)の墨跡を第1位に掲げ,〈右一軸ハ,昔珠光,一休和尚ヨリ被申請候。墨蹟ノカケ始也〉と記している。…

※「圜悟克勤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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