大沢寺(読み)だいたくじ

日本歴史地名大系 「大沢寺」の解説

大沢寺
だいたくじ

[現在地名]大町市大字平 駒沢

松本盆地北端に南に向いて屹立する山が小熊こぐま(一三〇二・六メートル)で、その山懐に、曹洞宗竜泰りゆうたい寺末の神竜山大沢寺があるが、今は現大町市大字大町堀六日町ほりむいかまちに別の伽藍を建て、大沢寺ととなえている。本尊准胝観音坐像。

大沢寺の開創については定説がないが、「続日域洞上諸祖伝」によれば仁科盛直が開創し、美濃出身の祖絶方を招いて開山としたもので、その年月を明らかにしていない。俗説ではあるが、信州三沢さんたく寺の一つと伝える。

寺裏に若宮親王の墓と伝える墳墓があり、あるいは南北朝の頃糸魚川いといがわに拠った明之宮わかのみや供養の場かとも考えられ、また宗良親王も信濃各地をまわって伊那大鹿いなおおしかへ籠る途中、この地を経過したかとも考えられる。


大沢寺
だいたくじ

[現在地名]利尻郡利尻富士町鬼脇字鬼脇

利尻山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。利尻島で最初に創建された寺院。明治一三年(一八八〇)福山宗円そうえん(現松前町)の能忍(広沢)覚道が利尻島鬼脇おにわき村に来村した。覚道は「人煙稀疎樹木鬱然トシテ一定ノ道路」もない利尻島を「嶮ヲ越エ岸ヲ渉リ普ク全島ヲ布教シ信徒数名ヲ結合」し(家屋図入北海立志編)、同一四年鬼脇村に説教所を創設した。同一八年九月に寺号公称を認められ、同二一年本堂の建築に着手、同二三年に完成した。のちに本格的な伽藍が建立されたが、大正一五年(一九二六)一二月失火のため焼失した(利尻富士町史)。昭和三一年(一九五六)本堂が再建され現在に至る。境内には明治三四年四月に利尻島で初めて建立された鐘楼堂(町指定文化財)、歴代禅師墓、大正一一年八月建立の第壱美保丸遭難者之碑、庚申塔、馬頭観音碑がある。


大沢寺
だいたくじ

[現在地名]五條市大沢町

神福じんぷく山南東中腹、大沢おおざわ谷の奥に位置。神福山と号し、高野山真言宗。本尊薬師如来。弘和元年(一三八一)の縁起写(寺蔵)によれば役小角の創建で、その後空海をはじめ紀州高野山との関係が深く、寺地は広く山麓に及び、塔頭一二、末寺数十を数えたという。また元亨年中(一三二一―二四)醍醐天皇勅願所となり、紀伊国伊都いと名手なて荘で田地二五町歩を与えられたという。大永六年(一五二六)一〇月の雨乞集(下村氏所蔵文書)にみえる神福寺は当寺のことか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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