大紀(読み)たいき

改訂新版 世界大百科事典 「大紀」の意味・わかりやすい解説

大紀[町] (たいき)

三重県南部,度会(わたらい)郡の町。2005年2月大宮(おおみや)町,紀勢(きせい)町と大内山(おおうちやま)村が合体して成立した。人口9846(2010)。

大紀町西部の旧村。度会郡所属。人口1604(2000)。宮川支流の大内山川の上流域に位置する。村域の大部分紀伊山地に属する山地で,河川沿いのわずかな低地集落耕地が形成されている。東部の大内山川沿いをJR紀勢本線と国道42号線が南北に貫通する。基幹産業は林業で,杉,ヒノキの良材を産出するが,過疎化が進み,労働力の不足が目立つ。第2次世界大戦後酪農が普及した。特産物としてシイタケの栽培も行われる。村の大部分が奥伊勢宮川峡県立自然公園に含まれ,間弓と駒の境に熊野街道一里塚がある。

大紀町北東部の旧町。度会郡所属。人口5242(2000)。北境沿いを宮川が東流し,宮川支流の大内山川が西寄りを,藤川が東部を北流する。町域の大部分は紀伊山地の東端に当たる山地で,河川沿いのわずかな低地に集落と耕地が開ける。中心集落は滝原で,伊勢神宮の別宮滝原宮があり,古代から明治初年まで神宮領であった。基幹産業は林業で,温暖多雨の気象条件に恵まれて杉,ヒノキの良材の産地となっている。特産物としてシイタケの生産が盛んであり,また和牛の肥育も行われ,松阪肉として出荷される。町全域が奥伊勢宮川峡県立自然公園に含まれる。とくに大内山川中流の大滝峡付近は自然にすぐれ,1974年青少年旅行村に指定され,サイクリングセンター,キャンプ場などが開設された。JR紀勢本線,国道42号線が通る。

大紀町中部の旧町。度会郡所属。1957年錦町と柏崎村が合体,改称。人口4488(2000)。熊野灘に面したリアス海岸の錦湾をとりまく錦地区と,大内山川に沿って開けた山村の柏崎地区からなり,錦峠が両地区を隔てる。町域の大部分は紀伊山地の東端に当たる山地である。湾岸と河川沿いのわずかな低地に集落と耕地があり,柏崎地区にはかつての木地屋集落が散在する。基幹産業は柏崎地区の杉,ヒノキを中心とした林業と錦地区の沿岸漁業,養殖漁業である。JR紀勢本線,国道42号,260号線が通る。大平山はツツジの名所。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大紀」の意味・わかりやすい解説

大紀(町)
たいき

三重県中南部、度会郡(わたらいぐん)にある町。2005年(平成17)大宮、紀勢(きせい)の2町と大内山村(おおうちやまむら)が合併して成立。東部は紀伊山地東部の分水嶺、西部は台高(だいこう)山脈南麓の山地で、南部は熊野灘(なだ)に面する。町域の約90%が山林で占められ、集落や耕地は宮川、藤川、大内山川の流域に点在する。JR紀勢本線、国道42号(熊野街道)、260号が通じる。紀勢自動車道の建設が進められ、2009年紀勢大内山インターチェンジが設置された。スギ、ヒノキなどの林業、シイタケ栽培、大内山牛乳として知られる酪農や肉用牛の肥育などが行われ、海岸部の錦(にしき)地区ではマダイやハマチの養殖が盛んである。町域の大部分が奥伊勢(おくいせ)宮川峡県立自然公園に指定され、緑豊かな自然環境を生かした観光開発が進められている。阿曽(あそ)には江戸時代からの温泉があり、2005年には旧阿曽小学校の校舎を利用した入浴施設が開場している。大内山川の上流には大滝峡、犬戻(いぬもどり)峡などの景勝地があり、町域にはキャンプ場や森林公園が多い。面積233.32平方キロメートル、人口7815(2020)。

[編集部]


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百科事典マイペディア 「大紀」の意味・わかりやすい解説

大紀[町]【たいき】

三重県中央部,熊野灘に面する度会郡の町。2005年2月度会郡大宮町,紀勢町,大内山村が合併し町制。JR紀勢本線,紀勢自動車道,国道42号線,260号線が通じる。233.32km2。9846人(2010)。

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