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大聖寺城 だいしょうじじょう

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日本の城がわかる事典の解説

だいしょうじじょう【大聖寺城】

石川県加賀市にあった平山城(ひらやまじろ)。同市指定文化財。錦城山(標高約70m。古城山とも)に築かれた城である。鎌倉時代に狩野氏が築き、その後居城としたといわれる。南北朝時代以降、たびたび記録に登場する城で、戦国時代に入ると加賀一向一揆の拠点のひとつになった。1555年(天文24)に、越前の朝倉宗滴が加賀に侵攻して一揆勢と戦い、周辺の諸城とともに大聖寺城を陥落させた。その後、同城は朝倉氏に属したが、1567年(永禄10)に一向一揆とともに堀江景忠が朝倉義景に反旗を翻して戦乱になった際、足利義昭の斡旋で和解が成立したが、その条件として城は焼き払われた。1575年(天正3)に浅井氏、朝倉氏を滅ぼした織田信長は加賀にも侵攻して江沼郡・能美郡を占領した。その際、信長は柴田勝家に日谷城とともに大聖寺城を修復することを命じた。翌年、勝家が江沼・能美両郡で起こった一揆を鎮圧した際、大聖寺城には勝家与力の佐久間盛政、次いで拝郷家嘉が城主として入城。越後の上杉氏の南下に備えて、城の修復を行った。信長死後の1583年(天正11)、勝家は賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に敗れ自刃した。その後、大聖寺城は北ノ庄城に入った丹羽長秀の属城となり、長秀与力の溝口秀勝が入城した。秀勝は長秀没後、堀秀治の与力になり、秀治が越後の春日山城に移ると、秀勝も新発田に転封となった。これに伴い、大聖寺城には小早川秀秋家臣の山口宗永が入城した。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いで宗永は西軍に与したことから、東軍方の前田利長の攻撃を受け、大聖寺城は同年8月に落城し、宗永は自刃した。その後は前田家の家臣が城代をつとめたが、1615年(元和1)の一国一城令により廃城となった。1639年(寛永16)、前田利治は金沢藩から7万石を分けられて大聖寺藩を立てた。その際、大聖寺城のあった錦城山のふもとに大聖寺陣屋を設け、藩庁とした。藩主の大聖寺前田氏は14代続いて明治を迎えた。このとき、藩主の大聖寺前田氏は城山(錦城山)への立ち入りを禁止していた。このため、全山に配置されていた本丸・二の丸・三の丸等の曲輪(くるわ)の遺構が良好な状態で残ることになった。現在、城跡は錦城山公園として整備されており、園内には、小堀遠州の設計といわれ、国の重要文化財に指定されている茶室長流亭がある。この長流亭は唯一現存する大聖寺城の建物の遺構である。なお、山麓の公園と加賀聖城高校・錦城小学校にかけての一帯が、江戸時代の藩主・大聖寺前田氏の陣屋跡である。JR北陸本線大聖寺駅からバスで加賀市民病院前下車。または同駅から徒歩約25分。◇錦城ともよばれる。

出典|講談社
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