知恵蔵 「大阪北部の地震」の解説
大阪北部の地震(2018)
日本で発生する中規模の地震のうち、M6.0以上M7.0未満のものは年平均17回を数える。ただし、震央が市街地に近く、地下の浅い場所で起こる内陸直下型地震では、規模が大きくなくても震源からの距離が小さいため、大きな被害を招くことがある。なお、今回の大阪北部の地震の震源の西方には、1596年にM7.5とされる慶長伏見大地震が発生した有馬―高槻断層帯があり、その西には1995年に阪神・淡路大震災を引き起こすM7.3の兵庫県南部地震が発生した六甲―淡路島断層帯が延び、いずれも大災害をもたらした。今回の大阪北部の地震で、高槻市では小学校のプールのブロック塀が倒れ、登校中の小学4年生の女児が下敷きになり全身骨折による失血死で犠牲になった。他に、3人が民家のブロック塀の下敷きになったり、倒れた本棚に挟まれたりして死亡した。高槻市の小学校で倒壊したブロック塀は学校のプール沿いにあった。74年にできた基礎部分約1.9メートルの上に、その後に目隠し代わりとして1.6メートルほどつぎ足すように設置されていた。通学路の路面からの高さは3.5メートルにもなり、控え壁も設置されていなかった。
ブロック塀などが地震で倒壊することによる人身被害は以前から問題視されており、68年の十勝沖地震をうけて71年に改正された建築基準法施行令などでブロック塀に関しても、高さは3メートルまでとするなどの基準が設けられた。その後、78年の宮城県沖地震では死者28人中、小学生など18人がブロック塀や門柱の下敷きとなった。このため、81年の建築基準法の改正では、従来「震度5程度の地震で倒壊しないこと」だった耐震基準を、「震度6強から7に達する大規模地震で倒壊・崩壊しないこと」に引き上げた。この際に同法施行令でブロック塀について、高さの上限を2.2メートルとし、鉄筋の使用や補強のための控え壁の設置について規定した。以降の改正でも、一定の条件で構造計算をするなどで安全性を確認できない限り、この制限を超えて建築することはできない。高槻市の小学校のブロック塀が設置された時期は不明だが、市は建築基準法に適合していなかったと明らかにした。
95年の阪神・淡路大震災などを機に、文部科学省は学校の校舎や体育館などの耐震化を進めてきたが、ブロック塀などについては見逃されてきた。この事故をうけて、内閣官房長官が文科省に安全点検を指示し、調査が進められている。大阪市教育委員会によるブロック塀などの被害状況の調査では、数十校で主に老朽化によるひびや傾きなどが見つかった。また、70年代に設置されたブロック塀では、当時の法令には違反していないものの、補強のための控え壁がないなど現行法令に合わない、既存不適格となるものが散見され、早期の改修や撤去を進めるとしている。ブロック塀は設置が容易なことから、民家などでも広く使われている。これらの中には、既存不適格となるものが無数にあるとみられ、その多くは老朽化が進み適切な管理がなされているとは考えにくい。ブロック塀は、メンテナンスをしても内部の鉄筋の劣化などから耐用年数は20~30年といわれる。これらについて、各自治体は所有者に向けて注意を喚起しているが、抜本的な対策は大きくは進んでいないのが実情である。
(金谷俊秀 ライター/2018年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報