日本大百科全書(ニッポニカ) 「天朝田畝制度」の意味・わかりやすい解説
天朝田畝制度
てんちょうでんぽせいど
1853年冬ないし54年春に、中国、太平天国政府が発布した土地・社会・軍事・行政の制度を包括する理想国プラン。実現の努力はなされず、広く宣伝されることもなかった。あらゆるものは上帝のもので、天王がこれを運用して、「天下の一大家族のあらゆるところの人々を平均にし、すべての人々を暖衣飽食させる」という趣旨のもとに、土地をその質によって九等分し、男女の別なく、16歳以上の者には、上々田なら一人一畝(ムー)(約6.6アール)、下々田なら三畝を、15歳以下にはその半分を割り当てて耕作させ、自家消費分以上の余剰はすべて国庫(聖庫)に納めて、冠婚葬祭費と老人、孤児、病人の扶養などにあてることとした。また25戸を基礎共同体とし、1万3156戸に至る軍事・行政組織をつくって、各級の地方官、同時に戦時における指揮官に管理させることなどを定めた。小農民の均質な生活の絶対的安定が理想とされた。しかし、「官」と「農民」はこの理想国においてすら、身分的上下関係として位置づけられている。
[小島晋治]